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9月, 2021の投稿を表示しています

ペルー政権が「第2次農地改革」に着手へ

         ペルーでは、フアン・べラスコ=アルバラード軍政大統領期(1968~75)の1969~70年に農地改革が実施された。これを「第1次農地改革」と呼ぶが、カスティージョ現政権は「第2次農地改革」に近く着手する。    ビクトル・マイタ農地開発・灌漑相は9月30日記者会見し、クスコ州内で10月3日に「第2次農地改革」を開始する、と発表した。農地工業化法、および農地協同組合完成法に基づき実施され、220万零細農民が恩恵を受けることになるという。    だが農民の能力強化や農産品加工業推進が「改革」の柱であり、第1次改革時のような大規模な農地接収はない。灌漑事業の活性化も図られる。    「第2次」とは、第1次改革を補完するという意味と窺える。  ▼第2次改革着手    ペドロ・カスティージョ大統領は10月3日、クスコ州内のVRAEM渓谷で「生産力刷新・技術移転センター」の開所式を主宰、これをもって「第2次農地改革」に着手した。    大統領は記念演説で、「改革は、ペルーの零細農民200万人に正義をもたらすため」と強調。「第1次農地改革は構造的過程で実施された。だが歳月が経ち、我々農民は無視されてしまった。しかし半世紀以上を経た今、農地を巡る収奪と不平等に終止符を打つため、ペルーが立ち上がった」と述べた。            

AMLOメキシコ大統領が先住民ヤキ人に歴史的謝罪

     メキシコのAMLO大統領は9月28日、北部のソノラ州に住む先住民族ヤキ人に対し、16世紀前半以来500年(スペイン植民地時代200年、独立メキシコ時代200年)の間に犯された暴虐に謝罪した。これにより同大統領による先住民族への謝罪行脚は終わった。   「メキシコ国家はヤキ人に対しても他のすべての先住民族や異文化集団に対しても、疎外、虐待、不正義を二度と再び繰り返してはならない。まず私たちは謝罪させていただきたい」。AMLOはソノラ州のヤキ人居住地を訪れ、そう述べた。   この「先住民族への謝罪申し入れ」式典で大統領は、ポルフィリオ・ディアス独裁期(1877~1911)になされた先住民族迫害を恥ずべき蛮行と厳しく糾弾し、「スペイン人侵略者到着以来拡がった人種主義」と非難した。   AMLOはこれまでに、マヤ人社会や、メキシコ革命中に北部で中国人移住者多数が革命軍に殺害された史実を踏まえ、中国人社会にも謝罪している。   政府とヤキ共同体が共同で立案した「正義計画」に基づきAMLOは、ヤキに新たな土地の地権と水利権を認めた。メキシコ北部は砂漠など荒れ地が多く、水利は死活的に重要だ。この水利実現のため、政府は3億ドル投資する。   ヤキ人側は式典でAMLOに対し、人口の10%を占める先住民族、およびアフリカ系国民を守るための改憲法案を手渡した。   式典前日の27日、2カ月前に武装集団に拉致されたヤキ人5人の遺体が確認されている。先住民族を取り巻く社会環境は依然冷酷だ。 ▼ローマ教皇が謝罪   AMLOは独立200周年とスぺイン人によるアステカ王国征服500周年が重なった今年、メキシコ政府、スペイン政府、カトリック教会(ローマ教皇庁)が先住民族に過去の暴虐と蹂躙を謝罪するのを期待していた。   だがスペイン国王フェリーペ6世は乗り気でなく、予定していた9月27日のメキシコ独立200周年記念日の式典参加を直前に取り消した。   スペイン政府の言い分は、500年前のスペイン人の米州到達は、現代の思考法で判断したり裁いたりすることはできない、というものだ。   これに対しフランシスコ教皇は27日書簡を通じ、「過去の過ち」を認め、メキシコの智での征服と布教の過程で協会が犯した人的・社会的罪への謝罪を申し入れた。      一方、スペイン首都のあるマドリ―自治州のイサベル

メキシコ外相が「メリダ計画」終了を宣言

      メキシコと米国の間には、「メリダ計画」という麻薬取締協力の枠組みがあった。マルセロ・エブラ―ル墨外相は9月29日、メリダ計画は終わったと宣言した。    フェリーぺ・カルデロン大統領期のメキシコ政権(2006~12)は発足直後の2006年12月、「麻薬戦争」を開始した。当時コロンビア政府が展開していた対ゲリラ戦を柱とする「麻薬戦争」に、米国はクリントン政権末期から「コロンビア計画」を通じて肩入れしていたが、時のブッシュ息子米政権は07年、メキシコの麻薬戦争への支援を決めた。   米政府は、メキシコの後背地である中米北部を、コロンビア、ペルー、ボリビアなどで生産されるコカインの中継地と見なし、メリダ計画の枠組みに含めていた。   米議会の承認を得て 08年、正式に「メリダ計画」は発足した。米軍が巨額の資金を投入して、メキシコ軍・警察に、戦略・戦術、軍事訓練、兵器、諜報などの分野で支援。カルデロン政権の麻薬戦争は激化し、全土で夥しい数の人道犯罪が起きた。   軍隊出動で一般市民の犠牲が最悪の状態になった半面、麻薬マフィアは、カルデロン政権に協力するものと、そうでないものとに分かれ、反逆するマフィアが主として攻撃された。その状態はカルデロン政権終了と共に麻薬戦争が終わった後へと続き、今日に至っている。   エブラ―ル外相は、「メリダ計画は終わった。我々は別の次期に入りつつある」と述べ、従来の「計画」終了が墨米間で共通の認識になっていることを指摘した。外相は理由として、10月8日メキシコ市で墨米政府間の高級会合が開かれ、新しい枠組みが形成されることを明らかにした。   会合には米側からアントニー・ブリンケン国務長官、アレハンドロ・マヨルカス国土安保長官、メリック・ガーランド司法長官らが出席する。会合では「合意文書」が調印されるが、それは終焉したメリダ計画に替わる新しい治安協力の枠組みを創るものという。   新文書は、「相互に敬意を払い合う相互尊重」を基本精神として協力し合うのが主眼。外相は、「共同行動をとるという点でメリダ計画と大きく異なる」と強調した。   外相は、現在のメキシコの最大の治安問題は暴力事件と殺人事件の減少を図ることとしながらも、会合では、なぜ米墨両国で麻薬消費が増えているのか、についても議論すると述べた。   会合で文書内容が正式に策定された後

トランプ政権期にCIAがアサンジ暗殺を計画か

    トランプ前米政権期の2017年、マイク・ポンぺオCIA長官が国務長官に就任する移行期に、CIAが、当時ロンドンの赤道国(エクアドール)大使館内に亡命していた豪州国籍のジュリアン・アサンジを拉致し暗殺する計画を立てていたと、9月26日報じられた。アサンジはウィキリークス創設者で、米当局から国際手配されていた。    ヤフーニュースが、CIA元職員約30人の証言を基に報じた。この秘密作戦は、米政府中枢部で話し合われていたという。CIAは、ウィキリークスの電子機器など装置を奪い、仲間同士の不信感を煽ろうとも画策していた。ポンぺオはCIA長官だったことから、ウィリークスで米政府の機密情報を暴いたアサンジに報復したいという意図に駆らていた、との見方もある。   さらにCIAは、ロンドン駐在のロシア政府保安要員らとの銃撃戦も想定していたという。それは、ロシア大使館要員らがアサンジの身柄を赤大使館からモスクワに移す秘密作戦を策定している、という情報が入った館んためという。    ロシア側は洗濯物を運ぶ押し車にアサンジを入れて赤大使館から脱出させる計画だったという。だが17年当時のロンドン駐在の赤領事は、「ロシアの関与」を否定している。    アサンジは19年4月、7年間滞在した赤大使館を離れ、英当局に逮捕された。法廷審理の末に身柄の米国送還が決まったが、英判事が今年1月、アサンジは米国に引き渡されることになれば自殺する恐れがあるとして、引き渡しを差し止めた。これに対し米検察は控訴。その審理は10月末に始まる予定。     エクアドールがラファエル・コレア大統領の左翼政権下にあった時期にアサンジは大使館に亡命した。だが後継のレニーン・モレーノ前大統領が米国の圧力を受け、アサンジ滞在許可を打ち切った。このためアサンジは英当局に拘禁されることになった。    弁護側は、今回の暴露報道を受けて、アサンジが米国に引き渡されれば生命の危険に晒されると警鐘を鳴らし、英政府に引き渡しをしないよう訴えている。    引き渡されれば、アサンジはスパイ法関連の17件で有罪とされ、「禁錮175年」が科せられる可能性があると見られている。    CIAの陰謀が決行されなかったのは、米国の最大最重要同盟国である英国を政治的危機に陥れる公算が大きく、米英関係が大きく損なわれること、米連邦議会の否定的反

スペイン極右党VOXがケイコ党など秘諸党と会談

   スペインの極右政党VOX(ボクス)の幹部らがこのほどペルーを訪問し、保守・右翼諸党と会談、友党関係を築いた。ペルーでは7月末、カスティージョ左翼政権が発足、その後2カ月に亘って、国会内外で反政府工作が続いており、ボクスは、イデオロギーの隔たりの小さいぺルー諸党と関係を確立する好機と捉え、訪秘した。    ボクスの副党首ビクトル・ゴンサレス下院議員ら3人はリマで、ケイコ党FP(人民勢力)、RP(人民刷新)、AP(国よ前進せよ)の幹部らと会談した。    ケイコ・フジモリは会談後の9月23日、「本日、VOXと重要な会合をもった。共産主義の伸張への懸念を共有する我々は、自由・民主防衛の立場を確認し合った」と表明した。    一方、 カスティージョ政権に協力している穏健左翼のNP(新しいペルー)党首ベロニカ・メンドサは声明を発表、「ファシズムには1センチたりとも譲歩してはならない。ペルーが独立200周年を迎えているさなかに、恐怖と暴力を醸成しているファシスト、人種主義者、植民地主義者の外国極右勢力にかくも寛大に対応するのは恥辱にして危険だ」と警鐘を鳴らした。    同声明は、「VOXは公然たる人種主義者、外国人排斥主義者、反民主であり、<共産主義に対抗するため>を口実に自由と民主に反対している」と指摘。    続けて、「その来訪を矮小化し正常と見るのは、我々の民主制度にとって悪しき前例になりかねない。それゆえに、欧州とスペイン社会で最も暗く保守反動的な勢力の代表来訪を拒否するよう全民主派に呼び掛ける」と強調した。     また政権党PL(自由ぺルー)のギジェルモ・ベルメホ国会議員は、フジモリ主義は以前から知られていることだが、倫理に欠けている、と批判した。 ▼トレード元大統領の身柄引き渡し可能に    米加州北部法廷は9月28日、アレハンドロ・トレード元秘大統領(75)の身柄をペルーに引き渡すことを法的に承認した。アンソニー・ブリンケン国務長官が引き渡しの可否を最終的に決める。    トレードは今世紀初めの大統領任期中に、伯建設大手オデブレシ―社から最大3500万米ドルという巨額の賄賂を受け取った容疑で秘検察から国際手配されていた。国外逃亡していたところ、2019年に潜伏していた加州で逮捕され、身柄引き渡しの条件を満たしているか否かの捜査と審理が続けられて

メキシコ教員養成学校生43人強制失踪事件から7年

   メキシコ・ゲレロ州にある農村教師養成学校(通称アヨツィナパ)の学生43人が2014年9月26日同州イグアラ市内で強制連行され、27日未明殺害されてから7年が経った。首都最大の目抜き、レフォルマ遊歩道には数字の「43」が赤色の大きな造形として建てられている。   墨都ではこの日、遺族、友人、人権団体、弁護士ら千数百人が幾つもの目抜き通りを分隊を組んで行進し、政府に真相解明を急ぐよう訴え、中心部の憲法広場(ソカロ)で集結し、抗議集会を開いた。「息子たちは生きて連行されたのだから、生きたまま還してほしい」と、変わらぬ言葉で事件の解決を訴えた。   これまで遺骨の身元が判明したのは3人だけ。(技術的、理論的には)他の40人の生死は依然、不明ということになっている。   連行された43人の遺体は野外で積み重ねられ、時間をかけて燃やされたことがわかっており、遺骨から身元を判断するのは極めて難しいという。   遺骨は、州内のサンフアン川や、別の場所の谷間から見つかっている。他の場所にも投棄された可能性があるが、確認されていない。初期捜査が欺瞞に満ちたものだったため、真相の多くが闇に葬られてしまったのだ。   この事件の解明作業に関与した国際調査団に所属していたコロンビア人の元検事らも、事件解明の困難さを指摘する。事件は、エンリケ・ペニャ=ニエト前政権期に発生したが、同政権は事件の真相を隠すのに必死で、捜査は、拷問による偽りの証言に満ち、捻じ曲げられて報告された。このため後継のAMLO現政権は、最初から困難に直面してきた。   AMLOは事件の早期解決を公約して当選したが、19年から3回目の記念日を迎えながら、捜査は遅々として進展しない。関与した士官を1人逮捕したことで国軍の介入を証明しはしたが、その後、目立った進展はない。   同大統領は、独立、ㇾフォルマ(改革)、メキシコ革命に次ぐ4番目の変革(4T)を掲げ、政策を遂行しているが、アヨツィナパ事件の未解明は、変革政策の足かせになっている。  ▼軍人尋問記録の公開を命ず   AMLO大統領は9月30日、政府アヨツィナパ事件調査委員会(委員長・アレハンドロ・エンシーナス人権担当内務次官)に対し、国軍要員30人に対する尋問の記録を公開するよう命じた。  

第3回ベネズエラ政治交渉がメキシコ市で始まる

     ノルウェー政府仲介による、ベネズエラ政府と野党勢力による第3回政治正常化交渉が9月25日、メキシコ市で始まった。当初24日開始の予定だったが、マドゥーロ政権は、在コロンビア米大使館にいるVEN担当米大使ジェイムス・ストーリーが野党側に指令を発していると抗議、交渉開始を1日遅らせた。   初日の議論には、カヴォ・ヴェルデで逮捕され米国への身柄護送待ちのコロンビア人でニコラース・マドゥーロ大統領の秘密交渉人アレックス・サアブの釈放問題が取り上げられた。政府側代表団は、サアブをメキシコ交渉の政府側代表の一人に任命している。 ▼EUが選挙監視団派遣へ   VEN国家選挙理事会(CNE)と欧州連合(EU)は9月29日、EUが11月21日のVEN地方選挙に監視団を派遣することで合意し、協定に調印した。

チリ北部でベネズエラ難民が排除さる

      ラ米諸国に流入しているベネズエラ難民は各国で暴力の犠牲者になったり、犯罪容疑者として拘禁されたりしているが、9月25日、チリ北部のタラパカ州都イキーケで一群の難民が排除される事件が起きた。   同州のホセ=ミゲル・カルバハル知事は同日、イキーケ市内ブラジル広場でテント生活をしていたVEN人難民約100家族が約5000人の地元チリ人デモ隊に排斥された。治安警備隊が出動し、難民が暴力に晒されるのを防いだが、現場に残された小型テントや携行品などは1カ所にまとめられ焼かれた。一部始終は、動画で報じられている。   デモ参加の住民らは、「我々は反移民でも反異邦人でもない。ただ秩序ある暮らしを守りたいだけだ」と語っている。   知事は、排除された約100家族は20家族ずつに分けられ、1家族に1テントがあてがわれ、市内に分散して滞在していると明らかにした。難民たちは南下して首都サンティアゴに向かう意思を明らかにしている。   知事は、今回の出来事発生に際し、州政府もイキーケ市も逸早く情報を得ることができず、難民の一時的な分散滞在地も伝えられなかったと述べ、チリ政府に不満を表した。州にはVEN人だけでなくハイチ人やコロンビア人の難民も到着しており、対処すべき予算も物資も不足しているとし、積極的に州財政を支援しない政府を批判した。   VEN人難民は、ボリビア南西部の標高4000mのアンデス高原から国境を越え、チリに密入国し、アタカマ砂漠を越え、イキーケなど太平洋岸の都市に到着している。密入国や輸送には、「コヨーテ」と呼ばれる業者が法外な現金と引き換えに介在している。   国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、チリにはVEN難民45万人がいる。また研究者鈴木美香の論文によれば、21年5月現在、世界にVEN難民564万人がおり、それはVEN人口の19・7%に当たる。   国連の難民人権担当者は25日、イキーケでの事件について、「(難民に対する)受け入れがたい恥辱事件だ」と非難した。    在智ハイチ人社会からは、「チリ人の多くは良い人だが、政府は人種主義、階級主義、占領主義だ」、「多くのハイチ人が定住しかけていたチリを去ってしまった」との声が聞かれる。 ★参考資料:鈴木美香「見直しを迫られるトリニダード・トバゴの移民・難民政策ーーベネズエラ移民・難民危機への対応か

「太平洋同盟」(AP)が加盟国拡大に動く

       チリのセバスティアン・ピニェーラ大統領(71)は来年3月11日の任期終了まで半年を切ったが、現在は2期目。最高指導者としての「有終の美」を飾ろうと動き始めた。大統領は9月24日、ラ米3カ国歴訪に出発、最初の訪問国コロンビアはカリブ海岸のカルタヘーナ市に到着、イバン・ドゥケ大統領と会談した。   議題は、通商をはじめとする両国関係、コロナ疫病COVID19対策協力、対ベネズエラ関係、および、両国がペルー、メキシコと共に構成している「太平洋同盟」(AP=アリアンサ・デル・パシフィコ)拡大構想だった。   ピニェーラは会談に先立ち、カナダ、豪州、乳国(ニュージーランド)、シンガポールの4カ国をAPに招き入れ、次いで赤道国(エクアドール)の加盟実現に向かうという構想を公表している。   APは2011 年に発足。ラ米太平洋岸4大国がすべて保守政権だった時期には頻繁に首脳会議を重ね、域内の通商を活発化。TPP諸国とラ米諸国を経済的に結ぶ役割を自認していた。だがメキシコに進歩主義・民族主義路線のAMLO政権が登場した18年末から変調をきたし、ペルーに今年7月、カスティージョ左翼政権が出現すると、状況はさらに変わった。   実業家出身で富豪のピニェーラは、政治的に肌の合わないAMLOとカスティージョよりも、新規加盟国を増やしてAPを拡大、活性化を図る方向に転じた。   今月18日メキシコ市で開かれたCELAC首脳会議にチリは副外相(日本では審議官級)、コロンビアは運輸相を派遣、AMLOに対し冷淡な態度を示した。   ピニェーラはコロンビアに続き、ウルグアイとパラグアイを訪問する。両国は伯亜両国と共に関税同盟「南部共同市場」(メルコスール)を構成するが、極右のジャイール・ボウソナロ伯大統領と中道左翼のアルべルト・フェルナンデス亜大統領が対立し、機能が滞っている。   APは以前からメルコスールと対話を続けてきたが、ピニェーラはコロンビアの意向も容れて、メルコスール内で伯亜両大国に挟まれたウルグアイ、パラグアイの保守・右翼系両国との接近を図ったのだ。   ピニェーラには、分裂し活動が停止状態にある「南米諸国連合」(ウナスール)に替わる「プロス―ル」創設を提唱しており、その運動も今歴訪に含めている。   南米は来年、ブラジル大統領選挙でルーラ元大統領が復権する公算が大きく

チリ上院議員暗殺から30年、首謀者の身柄が送還さる

       1980年代半ばから90年代初頭にかけてチリで活動を激化させていた地下極左結社「FPMR」(マヌエル・ロドリゲス愛国戦線)は91年4月1日、首都サンティアゴ市内で白昼、極右政党UDI(独立民主同盟 )のハイメ・グスマン上院議員(当時44歳)を乗用車内にいたところを銃撃し暗殺した。それから30年半、この事件の首謀者うちの一人の身柄が9月23日、メキシコからチリに護送された。       FPMRは86年9月、当時の軍事独裁政権の大統領アウグスト・ピノチェー陸軍司令官を暗殺するため襲撃したが、失敗した。グスマンはピノチェーの政治顧問で、80年制定の軍政憲法の中心的起草者でもあった。     教会で挙行されたグスマンの葬儀にはピノチェーら政府高官が参列。遺体は軍の栄誉礼を受けて埋葬された。   護送された首謀者の一人は、ラウール・エスコバル=ポブレ―テ(通称「エミリオ司令」、57 歳)。チリから逃亡、2002年ブラジルを最後に行方をくらませたが、17年にメキシコ・グアナフアト州サンミゲル・デ・アジェンデ市で逮捕された。   エスコバルは「ラモーン・ゲラ=バレンシア」の偽名でメキシコに滞在、サンミゲルを拠点に身代金誘拐などで生活と活動の資金を稼いでいたという。メキシコの法廷はエスコバルに禁錮60年という異常に長い、事実上の終身刑を科した。それは、チリ政府に慮った意味もあると見られている。   チリ政府はエスコバル逮捕後、メキシコ政府に身柄引き渡しを求めて交渉に入った。 AMLO政権は、エスコバルがチリで裁かれ判決が出た後、身柄をメキシコに戻すという条件で、チリへの一時的な引き渡しに応じた。   1991年4月当時のチリは、90年3月11日の民政移管によって発足したパトリシオ・エイルウィン大統領の民主政権が1年1カ月目に入ったところだった。エイルウィンはグスマン暗殺の一報を受けて、「民主化深化に向けて前進しなければならないときに、過去に戻されるような事件が起きてしまった」と嘆いた。   私は90年3月の民政移管の式典を、太平洋岸のバルパライソの国会下院本会議場で取材したが、その議場にいたグスマンの姿を見たのが彼を見た最後だった。ピノチェーは最終演説で「任務は完遂した」と言い、エイルウィンに大統領肩章を渡し、足早に下院を後にした。           

オーストラリア石油会社がキューバで油田開発に着手

    オーストラリアのメルバ―ナ・エナジー社は9月21日、玖マタンサス州フロリダ海峡沿岸油田地帯の「アラメ―ダL」地区で9月13日に原油採掘作業を開始した、と発表した。掘削地点の深さは地下457mの「浅い場所」という。     同社はシドニーに本社を置き、メルボルン支社、ハバナ支所、バラデロ事務所がある。玖国営石油会社CUPET管理下のメキシコ湾海底油田の試掘に2015年、参加したことがある。今回の作業は、18年に玖政府から認可されていた。     キューバはベネズエラからの原油供給が滞りがちで、発電にも支障をきたしており、長時間の停電が続いている。このため国内での油田開発が急務となっている。     ラウール・カストロ前玖政権は海底油田開発に力点を置いていたが、海域が深いうえ、油田が海底の岩盤で覆われていることがわかり、伝統的なマタンサス州油田地帯の重要性が一層高まっている。同地帯は内需原油の約半分を生産している。     

米国境巡視隊がハイチ人難民を鞭?で追い払う

     米墨国境は3200㎞。中間地点の米テキサス州エルパソ市と墨チウアウア州フアレス市の「双子都市」が向き合う地点からメキシコ湾までの東半分は、国境河川リオ・グランデ、メキシコ名リオ・ブラーボの中間線が国境となっている。(リオ・「ブラボ―」は誤訳)   この国境河川のテキサス州デルリオ市近郊の岸辺で9月19日、問題が起きた。同国境のメキシコ側にハイチ人を中心とする難民1万3000人が集結、徒歩で渡河し米国に密入国を試みている。   その一部であるハイチ人十数人が米側岸辺に上陸したところ、米国境巡視隊の騎馬隊に追い散らされたが、その際、巡視隊要員の一人が馬上から鞭のようなものを振るってハイチ人たちを追い払う様子がビデオ撮影された。   鞭か、乗馬用の鞭か、それとも手綱か、確認されていないが、米大統領政庁(ホワイトハウス)のジェン・サキ報道官は20日の記者会見で、「細かい情報は得ていないが、映像は受け入れられるものでも好ましいものでもない」と述べた。   だがサキは、「(亡命者については法改正がなされたが)米入国書類を持たないハイチ人が国境に来るべき時ではない」と述べ、不法入国を引き続き取り締まる政府の方針を確認した。   また同日、デルリオ市を訪れたアレハンドロ・マヨルカ米国土安全保障長官は、「米政府は安全で規律正しく人道的な移民受け入れを図っており、これ(大量越境行為)は取るべき方法ではない」と述べた。  一方、米国境警備隊は20日、テキサス州マッカ―レン市に近いエディンバラの国境沿いのホテルの一部屋にホンジュラス人10人、エルサルバドール人5人、メキシコ人1人の計16人が滞在しているのを見つけた。  同16人はメキシコから越境。越境業者に米内陸部に運んでもらうのを一か月近く待っていたところを摘発された。  昨年10月から現在までの約1年間に米墨国境の米側で身柄を拘束された不法移民は154万人。昨年は46人弱だった。3倍以上に増えたのは、コロナ禍による生活苦が一因と見られている。 ▼ハイチ人500人が玖島漂着  ハイチ人難民約500人を乗せ米国に向かっていた大型ボートが故障し9月21日、玖島北岸のオルギン州モア港に曳航された。 ▼米特使が抗議辞任  米国務省のハイチ特使ダニエル・ホエトは9月24日、米国境巡視隊がこのほど騎馬隊を出動させ、米領内に入っていたハイ

「資産接収ない、外資歓迎」と秘大統領が米国で強調

    ペドロ・カスティージョ秘大統領は9月20日、ワシントンの米州諸国機構(OEA)本部での常設理事会(大使会議)に出席し、演説した。「我々は共産主義者ではない。誰の資産も接収しない。外資を排除するのではなく、大型投資を導入したい。とくに鉱業部門に投資が必要だ」と強調した。   カスティージョは、ペルーが長年苛まれてきた腐敗問題にも触れて、「ペルーにはあらゆる大きさの腐敗がある。輸出できるほどある。腐敗はパンのない者からパンを奪い、人民への福利の多くを奪ってきた」と述べた。   この演説は、自国ペルーと、OEA非加盟の社会主義キューバを除く、米州33カ国大使を意識し計算してのもので、「急進左翼」という誤った印象が報道で拡がったのを正し、前政権までと同じように外資導入を図る基本的立場を明らかにした。   米財界、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、米州開発銀行(BID)などの懸念を払拭するため、ペドロ・フランケ経済・財務相が練った演説だった。フランケはカスティージョに随行している。カスティージョは訪米前に滞在したメキシコでは、実業家で大富豪のカルロス・スリムと会談した。   米政府の代弁者と呼ばれるルイス・アルマグロOEA事務総長(元ウルグアイ外相)は、「(カスティージョは)コロナ禍問題、国民の不平等をなくす問題、ラ米多国間機関の問題などを語った。特別の政治家による、とても良い演説だった」と評価した。 ▼「制憲議会開設は目標課題にない」   在秘・米商業会議所のアルド・デヒリッピ会頭は9月21日、カスティージョ大統領がワシントンで米財界と20日会談した内容を明らかにした。それによると、随行しているフランケ経済相は、カスティージョ政権の優先的目標課題に制憲議会開設は含まれていないと述べた。   同会頭は、「大統領は外資導入が秘国貧困緩和と福利拡大に利すると述べたが、外資導入の明確な法的規約が必要だ。それによって外資は、安心してペルーの輸出と福利拡大に貢献できるようになる」と語った。 ▼ベネズエラ政権を「承認していない」と言明   ペルーのルイス・チャベス副外相は9月20日、今年1月5日以降、いかなるVEN政府をも承認していない、と述べた。「1月5日」は、フアン・グアイドー前VEN国会議長の任期が切れた日。副外相は、「リマグループがVEN政権の正統性について語ることもない

ヴェトナム国家主席がキューバを訪問

    ヴェトナムのグエン・スワン・フック国家主席が9月18日からキューバを公式訪問しており、ミゲル・ディアスカネル玖大統領は2泊3日で公式訪問していたメキシコから18日夜帰国し20日、ハバナの革命宮殿(大統領政庁兼共産党本部)で同主席と会談した。    玖越関係は、ヴェトナム戦争中に結ばれた。フィデル、ラウールのカストロ兄弟は訪越し、ホー・チ・ミン越民主共和国首席と会談している。フィデルは玖革命軍最高司令官と首相を兼ね、ラウールは革命軍相と副首相だった。   米軍と闘っていたヴェトナムは、米軍から侵略されていたキューバにとっては、まさに「的の敵は味方」だった。フィデルはヴェトナム軍に軍事顧問団を派遣し、砂糖を贈っていた。   今日、ヴェトナムは玖産コロナワクチン「アブダラ」を正式に認可し、使用している。キューバは「アブダラをキューバに次いで2番目に使った国」としても、ヴェトナムを讃えている。また経済苦のキューバに米など支援物資を贈った。   キューバは経済困難を脱するため「国家資本主義化」を急ぎつつあり、越ドイモイ(刷新)政策による市場経済拡大政策を参考にしようとしている。   双方は19日には、生物工学・医療協力協定を結んだ。ヴェトナムは「アブダラ」接収1000万回分を購入する。   国家主席は20日、ラウール・カストロ前共産党第1書記と会談し、グエン・フー・チョン越書記長からの挨拶を伝えた。   その後、東部のサンティアゴ市を訪れ、サンタイフィへニア墓地のホセ・マルティ廟、英雄たちの墓、フィデル・カストロの墓に参った。ラミーロ・バルデス革命司令官が同行、案内した。   国家主席は訪玖日程を終え、サンティアゴ空港から出国した。  

墨都で第6回CELAC首脳会議開催、激論交わさる

     LAC(ラ米・カリブ)33カ国の「広義の南米」統合を理想とするCELAC(ラ米・カリブ諸国共同体)の第6回首脳会議が9月18日、メキシコ市中心部にある大統領政庁(国家宮殿)で開かれた。   CELACは、故ウーゴ・チャベスVEN大統領の主導・尽力で2010年のメキシコ首脳会議で結成が決まり、11年12月、カラカス首脳会議で具体的に発足した。米州35カ国中、米加北米両国抜きのLAC最高国際機関となった。   発足後の第1回首脳会議は13年チリ(智)で開かれ、14年キューバ(玖)、15年コスタ・リカ(CR)、16年エクアドール(赤)、17年ドミニカ共和国(RD)と続いた。だがラ米域内の分裂で18,19、20年には開催されなかった。その間、極右政権のブラジル(伯)が脱退。今回は4年ぶりに開かれた。加盟32カ国の首席代表は次の通り。   大統領14カ国:墨グアテマラ/ホンジュラスCR玖RDガイアナVENスリナム赤BOL秘ウルグアイ/パラグアイ。(亜国大統領は国内事情により出席を取り止めた)   副大統領1:エル・サルバドール。(VENは副大統領も出席)    首相5:ハイチ/ベリーズ/ドミニカ/セント・ルシーア/サンヴィセンテ&グラナディーン。   外相9(10):ニカラグア/パナマ/バハマ/バルバドス/グレナダ/ジャマイカTT/セントクリストファー&ネヴィス/アンティグア&バーブーダス。(亜国外相は出席したが18日時点で更迭されていたため、代理が首席を務めた)   副外相1:チリ。運輸相1:コロンビア。 ▼AMLOがCELAC強化を呼び掛け   輪番制議長のAMLO大統領は開会演説で、CELACをLACの中心的機関になすべしと訴えた。米加両国とは相互に敬意を払い主権を尊重し合いつつ、経済・通商関係を築くとし、欧州連合(EU)結成に至る前の欧州経済共同体(EEC)のような機関をまず創ろうと呼び掛けた。   その根本的政策として、①内政不介入不干渉・民族自決原則の下で開発協力・相互支援関係をつくり、格差や差別を排する②メキシコは昨年(TLCAN/NAFTAを発展的に解消して)TーMEC(墨米加条約)を結んだが、このような基盤に立ってLAC生産力の強化を図るため、国連LAC経済委員会(CEPAL)や米州開銀(BID)などに協力を求めて改札計画を

亜国政権党の国会議員選敗北の可能性深まる

   アルベルト・フェルナンデス大統領の亜国政権が窮地に陥っている。9月12日に実施された国会議員予備選挙で、ペロン派政権党が上院で大敗し、下院ではマウリシオ・マクロ前大統領らの保守・右翼野党が第1党になるとの予測結果が出たからだ。   国会議員選挙は11月14日に予定されている。2023年の次期大統領選挙の行方を占う重要な「中間選挙」だ。   予備選結果を受けて政権党は混乱、穏健路線のフェルナンデス大統領派と、中道左翼路線のクリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル副大統領(元大統領)率いるキルチネル派の対立が一挙に激化した。   大統領は急遽、CELAC(ラ米・カリブ諸国共同体)首脳会議出席のためのメキシコ行きを取り止め、内閣を大幅に改造した。フェリーペ・ソラ―外相は更迭され、サンティアゴ・カフィエロに替わった。新外相がメキシコ会議に出席するか否かは不明。   政権党支持が激減した背景には、経済低迷がある。その原因の一つは、マクリ前政権期に膨らんだIMF(国際通貨基金)などへの対外債務だ。フェルナンデス大統領は17日、ジョー・バイデン米大統領と遠隔会談し、IMF債務の返済問題などで善処を要請した。  

メキシコ独立200周年、玖元首迎えたAMLOが対米説得

      メキシコは9月16日、独立戦争開始211周年記念日を迎え、首都メキシコ市中心部の憲法広場(ソカロ)からチャプルテペク公園に隣接する陸軍第1基地まで軍民行進が催され、アンドレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO)大統領は、来賓のミゲル・ディアスカネル大統領とともに観閲した。       行進は2時間半に及び、陸海空3軍部隊と国家警備隊の1万5000人とチャロ(民間乗馬愛好者)、さらに仏外人部隊など十数カ国軍の招待部隊が参加した。    大統領政庁前の特設貴賓席で1時間半に亘り、国防相、玖大統領、墨大統領が演説した。玖大統領は、ラ米史における玖墨関係の重要性に触れた後、カストロ兄弟ら革命の同志が1955年メキシコに亡命し、そこで出会った亜国人エルネスト(チェ)ゲバラとともにキューバ島にクルーザー「グランマ号」で遠征、59年元日に革命を成就させた歴史を辿り、メキシコとの深い関係を強調、感謝の意を表明した。   とくにCOVID19で惨憺たる状況にあり、米国による経済封鎖で窮状に陥っているときに、メキシコ公式訪問に招かれたことや支援物資を供与されたことに謝意を表した。 ディアスカネルは、「平和とは他国の権利を尊重することだ」との、19世紀後半のベニート・フアレス墨大統領の名言を引用した。   AMLO(アムロ)大統領は演説で、メキシコはアグスティン・デ・イトゥルビーデ将軍の下で1821年9月27日独立したが、同将軍がアグスティン1世として帝政を敷いた史実から、メキシコでは独立達成の日より、独立戦争を開始した日の方が重要で、その日を独立記念日としている、と強調した。(したがって今9月16日は独立200周年記念日を兼ねる。)   独立後200年の歩みに触れた後、玖大統領を招いたことについては、「いかなる強国の内政干渉をも許さず、自由と独立をもって生きる権利を尊厳をもって守ってきた世界で稀な国の人民を代表するからだ」と述べ、キューバと大統領を讃えた。   続けて、「これまで言ってきたことを繰り返すが、誰もが玖革命と玖政府に同意するか否かを決めることができる。だがキューバが62年間も屈従することなく抵抗し続けてきたことは、疑いなく歴史的偉業だ」と指摘した。   「それゆえに玖人民は、その主権防衛闘争によって、尊厳賞と人類の遺産指定にふさわしい」と礼賛した。AML

メキシコ教員養成学校生43人殺害現場の状況明らかに

   メキシコ・ゲレロ州内で2014年9月26~27日起きたイシドロ・ブルゴス農村教師養成校生43人行方不明事件=「アヨツィナパ」事件=の核心的犯罪状況が明らかになった。政治社会週刊誌「プロセソ」(9月14日付)や新聞が、犯罪集団による43人殺害と遺体焼却の目撃談を報じたからだ。   同誌や新聞が報じたのは、ゲレロ州を拠点とする麻薬マフィア「ゲレロ・ウニード」(GU)に事件当時所属していたフアン=ミゲル・パントハ=ミランダ元容疑者が、逮捕された後、国家人権委員会(CNDH)に対して証言した内容。   パントハは事件に直接関与した容疑者として48件の容疑を追及され、18年8月28日、コアウイラ州ピエドゥラスネグラス市で逮捕された。そして証言した。   だが不可解にも「証拠不十分」として18年9月12日、釈放された。当時はエンリケ・ペニャ=ニエト(EPN)大統領の最終年で、EPNは事件の真相を知りながら、ひた隠しにし、同年12月1日、任期満了で政権を去り、現在のAMLO大統領が政権に就いた。   その後、分かったことだが、パントハは逮捕された後、拷問されて自白したため、釈放されたようだ。   パントハのプロセソ誌への証言の要旨は次のようなものだ。「事件後、良心の呵責に耐えられず、眠れない日々を過ごした。そのため逮捕された2日後、知ることすべてを自白しようと決意した」という。   (ゲレロ州イグアハラ市内で陸軍駐屯部隊、連邦警察、州警察に守られた市警とGUに43人が襲撃されつつあるとの情報が14年9月26日22時ごろ、CUの仲間から電話で伝えられ、指定されたコクラ市内の住所に「早く来い」と言われた。   22時10分ごろ到着すると、GU仲間6人が待っていた。一緒にニッサン小型トラックに乗り込み、イグアラに向かった。だが途中でイグアラからやってきた一行に出会い、合流してコクラに向かった。   一行は、学生43人を重ねて積み込んだ3・5トントラックと、護衛する市警の車2台だった。パントハら6人は、学生たちが立ち上がって逃げるのを防ぐため監視するよう求められた。学生たちは「窒息する」などと、うめき声を上げていた。するとGUの要員2人が学生たちに向けて計8度ばかり発砲した。   次いで、GUの一人が、学生1人の背中に黒のエアゾールで「X」と書き、「こいつは知っている。お頭が探して

嫌疑かけられたハイチ首相が首席検事を更迭

    ハイチのアリエル・アンリ首相は9月14日、べフォール・クロード首席検事を更迭した。クロードは11日、ジョヴネル・モイーズ大統領暗殺事件に関与した最重要人物と首相が同事件後に電話で話し合ったとして、首相に14日に出頭するよう求めていた。    クロードによれば、7月7日未明の暗殺事件当時、暫定首相に任命されていたが就任してはいなかったアンリ首相は、事件の黒幕で元司法省幹部職員ジョセフ・フェリックス・バディオ容疑者(逃亡中)と携帯電話で通話した記録が電話局にあるのを確認したため、首相に出頭を求めた。首相の出国も禁止していた。    バディオは、暗殺実行部隊だったコロンビア人傭兵コマンドと車数台で大統領私邸に乗り付け、事件直後に姿をくらませた。首相と通話した時点で、バディオは首都ポルトープランス市内の事件現場に近い場所にいたという。    アンリ首相はクロード更迭発表の際、「更迭発表を喜びとする」と述べた。    暗殺事件後、大統領は空席で、年内もしくは来年初めには大統領選挙が実施される見通し。当面、アンリ首相が最高指導者であり、クロードが首相に公然と嫌疑をかけた裏には、権力・利権闘争があると見られている。         

「ハバナ症候群」原因めぐり玖アカデミアが米に反論

   ハバナの米大使館駐在外交官らが2016年から17年にかけて<音響攻撃>により脳に悪影響が出たとされる「ハバナ症候群」の原因について、米科学アカデミーは最近、「マイクロ波」と関連付けた。    これに対し、玖科学アカデミアは9月13日、記者会見し、6つの理由を挙げ、根拠がないと反論した。要旨は次の通り。    ①当該米外交官らはハバナ駐在中、もしくは渡玖する前に「症候群」の原因を体内に得ていた。    ②「脳への被害」の多くは否定され、一部確認されたものは渡玖前の原因によるものと判断される。    ③建物に侵入可能な「音響」や「強烈な電波」の発信は法律で厳しく取締まられる対象であり、玖ではありえない。    ④それらを遠距離から送るには大規模な装置がなければならないが、そんなものは玖にないし、あれば隠し得ない。    ⓹2016年から5年経った現在、玖米加3国の警察は原因を示す証拠を発見できないまま今日に至る。    ⑥さまざまな調査の選択肢を無視して原因を断定するのは合理的でない。    トランプ前米政権は2017年、この「症候群」を理由に在玖大使館の人員と業務を最小限にし、オバマ政権が敷いた対玖太陽政策を冷戦期の北風政策に戻した。    バイデン現政権は、トランプの対玖封鎖による締付けを維持しながら、「人道」や「市民社会」分野での関係強化を図ろうとしている。

センデロ・ルミノソ指導者グスマン受刑囚が死去

    ペルーの極左地下結社センデロ・ルミノソ(SL=輝く道)の最高指導者で元大学教授のアビマエㇽ・グスマン受刑囚(86)が9月11日、肺炎で死去した。    グスマンはフジモリ政権下の1992年9月リマ市内の隠れ家で逮捕され、カヤオ港にある海軍司令部内の刑務所で終身刑に服していた。多くの殺戮事件に関与した。    7月に体調を崩し、食べ物を受け付けなくなり、刑務所内の医務室に収容されていた。そこが死の床になった。SLの首領として1980年から92年まで暗躍し、刑務所でぴったり29年過ごして死去した。    検察庁が公表した検視結果は次のようなもの。「遺体はうつぶせだった。身長167センチの混血成人男性、慢性的衰弱状態、頭部周囲55センチ、乾癬により皮膚には鱗屑(りんせつ)、頭髪および髭は伸びている。衛生状態は普通、上下に義歯。右回腸部分の窪みに4・5センチのケロイド状傷跡、背中仙骨部に複数の傷痕。最近できた外傷の痕跡はない。死後6~8時間経過したもよう。死因は司法解剖を経て明らかになる」    遺体はカヤオ市内の検察庁法医学局で12日未明終了、死因を「肺炎」と断定した。検察庁は、グスマンの遺体を妻エレーナ・イパラギーレ=レボレード受刑囚に渡すかどうかを検討中。イパラギーレも女性刑務所で終身刑に服している。グスマンは結婚指輪をしていた。    ペドロ・カスティージョ大統領は12日、グスマン死去に触れて、「これで政府およびべジ―ド内閣とSLを結び付ける疑念の存在する余地はなくなった。もし政府内に<テロリスト>がいることが証明されたら、その人物を真っ先に罰する」と述べた。    マリーアデルカルメン・アルバ国会議長は、「SLによる犠牲者たちへの負債が依然残っている」と指摘した。アルバは議長就任前までAP(人民行動)党に所属していた。1980年にSLが活動を開始した当時は、べラウンデAP政権だった。          グスマン逮捕を指揮した国家諜報特別集団(GEIN)司令官だった日系のマルコ・ミヤシロ(68)は、「SL思想を葬るべき時が来た」と語る。ミヤシロはグスマン逮捕の功績で国家警察長官に就任。引退後はケイコ党FP(人民勢力)のリマ市会議員、国会議員を務めた。  ★関係最新参考資料:ルルヒオ・ガビラン著『ある無名兵士の変遷  ゲリラ兵、軍人、修道士、そして

豪州諜報機関がアジェンデ打倒でCIAに協力していた

   チリは9月11日、軍事クーデター48周年記念日を迎えた。こちらが現代史における「本家9・11」である。米国のそれは「もう一つの9・11」と位置付けられる。チリ紙は11日、当時のブッシュ米大統領が2003年に対イラク戦争開戦前、リカルド・ラゴス智大統領(当時)に電話し支持を求め、ラゴスがそれを拒否した事実を報じた。   アウグスト・ピノチェー陸軍司令官ら軍部に倒された人民連合(UP)社会主義政権の主だったサルバドール・アジェンデ大統領の遺体は、首都サンティアゴの「一般墓地」内の要人墓地区にあるアジェンデ廟に眠っている。   この48周年記念日、旧UPの中核を担った共産党(PCCH)をはじめとする左翼諸党の党員や支援者は目抜きのアラメ―ダ大通りを行進し、アジェンデがクーデターの戦火の中で自害したモネーダ宮殿(大統領政庁)前に建つアジェンデの立像に花輪を捧げた。   また、若手左翼陣営を中心とするデモ隊は一般墓地まで行進した。一部の覆面活動家は商店を掠奪するなどして、カラビネロス(準軍組織・治安警備隊)に制圧された。この暴徒たちの存在は、智人口の6・6%が貧困(極貧は同4・3%)、18歳以下貧困者70万人)という現実をある程度反映している。   一方、有産層の若者数十人は首都の陸軍士官学校構内で、ピノチェー体制を礼賛する集会を開いた。新自由主義経済路線により少数富裕層が桁外れに繫栄し、貧富格差と社会分断が著しいのが今日のチリだ。   サンティアゴ市は10日、市教育当局と記憶・人権博物館が協力して人権教育を施すことを決めた。同博物館のフランシスコ・エステーベス館長は、73年クーデター以降90年まで続いたピノチェー軍政下での人権蹂躙状況をまとめた「バレチ(バレク)報告」(国家政治囚・拷問調査委員会報告)の未公開部分を早期解除するよう求めた。   9・11は、チリの民主政治を押しつぶし、ラ米全体の政治の在り方と政治思想を変えてしまった。それから半世紀近く経った今、チリは民主体制下にあり、民主憲法起草過程にある。だが、パトリシオ・グスマン監督が最新の作品「夢のアンデス」(来月10月9日から岩波ホールで公開)で指摘するように、「9・11前のチリは永遠に戻らない」。   私は当時の取材拠点メキシコ市から南米に出張しては、チリ情勢をカバーしていた。クーデター直後のサンティアゴやバ

グアンタナモ基地ではアフガン戦争は終わっていない

     アフガニスタン戦争は端的に言えば、「米・アフガニスタン戦争」だった。その原因となった、NYおよびワシントン郊外の米中枢部を狙った2001年9月11日の「米中枢同時テロリズム事件」から20周年が過ぎた。   バイデン米政権は8月末、米軍を撤退させ、20年に及んだアフガン戦争は終わった。だがキューバでは終わっていない。南東部のカリブ海に開けたグアンタナモ湾の中心部を占める米海軍基地内に「アルカイダ容疑者」が依然39人も囚われているからだ。   米国は、1895年に始まった第2次キューバ独立戦争に98年介入し、スペイン植民地軍を撃破してグアンタナモ湾を占領。20世紀初めキューバを形式的に独立させて属領化し、グアンタナモ基地を恒久的な軍事植民地にした。   ここに2002年、ブッシュ政権はアルカイダ・ターリバーン容疑者強制収容所を建設、世界各地から連行してきた容疑者を最大779人収容していた。   ブッシュ政権は532人、オバマ政権は197人を、それぞれ釈放。トランプ政権は1人だけだった。1人は釈放されたが、依然グアンタナモ基地内に留められている。9人は病死ないし自殺した。残りの39人が被告で、未決囚だ。   バラク・オバマ元大統領は強制収容所閉鎖を公約したが、果たせなかった。ドナルド・トランプ前大統領は、その閉鎖方針を撤回した。ジョー・バイデン大統領は閉鎖する方針だ。ブッシュ政権期には、収容所を管理する米兵らによる凄まじい容疑者虐待が暴露され、大問題になった。   39人のうちの一部を米本土の法廷で裁き、残りを釈放するという案がある。被告5人は10日、グアンタナモ基地内の軍事法廷での審問に臨んだ。体調の良くない収容者もおり、これ以上未決のまま収容し続けるのは人道上も許されまい。   収容所が閉鎖され、収容者がいなくなるまでは、米国のアフガン戦争は終わらない。また、グアンタナモを米国に奪われているキューバにとっても終わらない。無論、キューバにとっては同基地を奪回し「国土回復」を果たさないかぎり、主権は全うされない。 ▼ヴェトナム戦時米兵捕虜の「拷問者」死去   ハバナの非政府メディアは9月10日、玖革命軍(FAR)軍事諜報局(DIM)員としてヴェトナムで米兵捕虜の尋問に当たったエドゥアルド・モレホーン=エステーベス元大佐が最近、コロナ疫病COVID19で死去したと

ペルーがサハラウイ・アラブ民主共和国と国交再開

   カスティージョ・ペルー政権は9月8日、北アフリカのサハラウイ・アラブ民主共和国(RASD)との国交再開を発表した。   マドゥーロVEN政権打倒を目指す米州保守右翼諸国の「リマグループ」(グリマ)脱退に次ぐ、カスティージョ政権の重要な外交決定だ。VENとは既に関係正常化段階にある。   RASDは旧スペイン植民地「西サハラ」で、1975年のフランシスコ・フランコ西総統死去後、隣接するモロッコによって大部分が不法占領されてきた。   住民サハラウイはRASDを建国、地続きのアルジェリアを主要な聖域としてモロッコに抵抗してきた。日本にもRASD支援運動がある。   国連は「西サハラ」を植民地解放対象としているが、アフリカ連合はRASDを国家として認め、加盟国として受け入れている。   一方、ペルー国会は9日、ペドロ・カスティージョ大統領が今月半ば以降6日間、出国することを全会一位で承認した。同大統領の初外遊で、メキシコ市でのラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)首脳会議、国連総会、ワシントンの米州諸国機構(OEA)常設理事会(大使会議)に出席する。   これら3回の演説機会にカスティージョが、どのような政治・外交理念を打ち出すかに関心が集まっている。 ▼ケイコが今後の出馬計画はないと表明   野党FP(人民勢力)の最高指導者ケイコ・フジモリは9月9日、メディアの取材を受けて、「(4度目の)大統領候補になる計画はない」と述べた。ケイコは今年の選挙を含め3度決選投票で敗北している。だが、この日の表明は、論理的に「出馬計画が将来出てくる可能性」を否定するものではない。 ▼カスティージョには「思想的大雄弁」が不可欠   米左翼誌「ジャコバン」は9月7日、ペルー政権と国会との常態的対立状況を踏まえ、ペドロ・カスティ―ジョ大統領が弾劾をかわすには、「イデオロギー的に際立った雄弁」が不可欠と指摘した。また「街頭での支持拡大」も必要とし、「汚職事件の地雷原に踏み込む危険性」にも触れている。 ▼制憲議会開設盛り込み法案を提出   ペルーの政権党PL(自由ペルー)は9月10日、国会憲法委員会で、憲法206条に「制憲議会」開設を可能にする条文を盛り込む改正法案を提出した。 

ペルー最高裁が中古戦闘機買付汚職で7人に禁錮刑科す

   アルベルト・フジモリ秘政権期の中古戦闘機購入を巡る大型汚職に関与した当時の高級公務員、武器商人ら計7人が9月6日、リマの最高際刑事法廷で禁錮4年の実刑判決を受けた。   実刑を言い渡されたのは、経済・財務省公共資産局の元局長で、現同省財務副相顧問のマルセリーノ・カルデナス、同省元予算局長レイナルド・ブリンガス、元国銀総裁ホセ・パロミノら。   フジモリの顧問で諜報機関を握っていたブラディミロ・モンテシーノス受刑囚が、この戦闘機買い付け汚職事件の背後にいた。   ペルー空軍はモンテシーノスの差し金で1996~98年、実態の乏しい「エクアドールの脅威」を理由に、ミグ29など戦闘機39機を購入。代金支払い時に巨額の資金を私(わたくし)した。   39機の内訳は、ベラルーシからのミグ29型18機、スホーイ25型18機、ロシアからのミグ29型3機。すべて中古機で、代金は総額5億3600万米ドルだった。うち2900万ドルはモンテシーノスの懐に入った。   39機は実戦機能を失っていた。モンテシーノス以下の一味は私腹を肥やすため、国庫資金を食い物にして無用の長物を買いこんだのだった。    

ラ米学徒、久保崎夏の思い出

  ラテンアメリカを愛し踏査し料理を身に着け友人をつくったラ米学徒・久保崎夏(くぼさき・なつ)が9月4日、41年の人生を終えた。その葬儀が本日8日、埼玉県草加市にある谷塚斎場で挙行された。   故人の遺志により「無宗教」の音楽葬として催され、女性音楽家2人がヴァイオリンとエレクトーンをそれぞれ演奏、その重厚にして物悲しい曲を枕に、葬儀は進行した。   父親の久保崎輯さんが喪主として挨拶。伯父・早乙女勝元さんは、大学生だったころの夏らとミャンマー(旧名ビルマ)を訪問し、自宅軟禁中だったアウン・サン・スー・チーと面談した逸話を明かした。夏の従姉・早乙女愛さんも夏の思い出を語った。   夏は明治大学を卒業して数年後、立教大学ラ米研究所の受講生になった。スペインの「ベンポスタ子ども共和国」のベネズエラ版「共和国」に半年滞在し、ラ米に関心を抱いた。好きになったのだ。だからラ米研にやってきた。   私は2005年4月から14年3月まで9年間、ラ米研の「現代ラ米情勢」という講座の担当講師だった。夏は優秀な受講生だった。読み聴いて学んだことを、現地に赴き、脚と目で確認した。だから休暇をやりくりしては、ラ米を、そして世界を旅行していた。   葬儀にはラ米研時代の級友7人も参列した。メキシコ市在住の級友2人からは弔電が届いた。ブエノスアイレスやバルセローナの友人らからも悼む声が届いていた。   私はジャーナリズム活動の一環として、来日するラ米諸国の文化人、知識人らにインタビューするが、夏には10人ぐらいの取材で、相手の人物を撮影する写真家を務めてもらった。   そのなかには、文豪ボルヘス夫人マリーア・コダマ(日系亜国人)、ノーベル文学賞作家マリオ・バルガス=ジョサ(ペルー人)、キューバ性教育センター所長マリエラ・カストロ(ラウール・カストロ前共産党第1書記の娘)らが含まれている。夏は物おじすることなく、淡々と撮影をこなした。   夏は、ラ米の白い民俗衣装に身を包んで横たわっていた。若くして不治の病に侵された無念さからは解放されていたが、その情念の残り香が漂っていた。   薔薇やさまざまな花で棺を飾るとき、彼女の顔の周囲は赤薔薇で包まれた。メキシコ調の色彩であり、フリーダ・カロに少し似た雰囲気が醸し出された。   夏は1980年6月生まれ。初夏の産ゆえに「夏」と命名された。私は西語の男性

ベネズエラ政府と野党が「経済危機緩和」で合意

      メキシコ市で9月4日に始まったノルウェー政府仲介のベネズエラ政府と野党との第2回交渉は6日、今回4回目となる最終交渉を終えた。政府側首席代表のホルヘ・ロドリゲス国会議長は、「部分的合意に達した」と成果を語った。   野党側首席代表ヘラルド・ブライド弁護士は、「ベネズエラ経済の深い危機を和らげる方策を探ることで合意した」と認めた。だが、「その経済危機は、VEN政府の経済モデルの失敗による」と付け加えた。   マドゥーロ政権は現在の経済危機が米国による経済封鎖(一方的制裁)に依るところが大きいとして、その解除を要求している。政府側は、米政権と連絡回路を持つ野党側に制裁解除を米国に働きかけるよう求め、野党側が何らかの同意をしたのかもしれない。   一方、ニコラース・マドゥーロ大統領はカラカスで5日、「交渉は無処罰(インプニダー)は議題としない」と強調した。これはフアン・グアイドー前国会議長(極右政党VP=人民意志=幹部)が不法出国、トランプ前米政権と組んでの米傀儡「政権」樹立宣言、マドゥーロ政権打倒ク―デター未遂、マドゥーロら要人の拉致・暗殺侵攻失敗など反逆罪に該当する重大犯罪を含む違法行為を犯したことと関連する。   マドゥーロ発言は、今回のメキシコ交渉で、野党側がグアイド―らの免罪を求めた可能性を示唆する。 ▼ノルウェーが合意事項を明かす   交渉仲介国ノルウェーの外務省は9月6日オスロで、今回のメキシコ交渉で双方は①ガイアナ・エセキーボ地方のVEN主権・防衛確認およびガイアナとの平和解決②VEN国民社会的保護部分取り決めーの2点で合意したと明かにした。エセキーボはガイアナ領に組み込まれているが、VENはガイアナ独立前に英国に奪われた領土であり、VEN領だと長年主張してきた。②はコロナ禍に苦しむ国民の救済策で、米欧による経済制裁の緩和を求めるもの。 ▼ ガイアナが拒否  ガイアナ政府は9月8日、VEN政府と野党の間で合意されたガイアナ・エセキーボ地方のVEN領有権主張確認および、この問題でのガイアナとの平和解決に関し、新たなVEN政府との交渉を拒否すると表明した。 ▼アレックス・サアブを代表団に  ニコラース・マドゥーロ大統領は9月14日、次回(第3回)メキシコ交渉の政府側代表団に、レバノン系コロンビア人アレックス・サアブ(49)を「外交官」として加えると

エル・サルバドール大統領の連続再選可能に

    エル・サルバドール極右独裁体制を率いるナジブ・ブケレ大統領が、憲法規定を破って大統領連続2期就任に道を開いた。この国の大統領任期は1期5年。    最高裁憲法法廷は9月3日、「大統領連続2期就任は可能」と判断。選挙最高審議会(TSE)は「その判断に従う」と応えた。これによりブケレは2024年の次期大統領選挙への出馬が可能になった。    憲法法廷は2014年、大統領は任期終了10年後に再選出馬が可能になるとの判断を下した。それを今回の判断は「間違いがある」として覆した。    ブケレの政権党「新思考」が絶対多数派の国会は5月1日、憲法法廷判事5人全員を更迭し、自派の弁護士5人を後任に据えた。その結果、過去の判断が覆された。    首都サンサルバドールの米大使館は4日、今回の判断変更を「違憲」とし、認めない立場を明らかにした。                 

ペルーが米国際開発局の無償援助受け入れで調印

     ペルー政府と米国際開発局(USAID)は9月3日、秘外務省で開発協力無償資金援助協定を更新調印した。カスティージョ政権の任期と重なる2026年までの5年間に、米側は3億2100ドルを援助する。使途は、コカ葉栽培面積縮小、自然環境保全、腐敗掃討、被災地復興など。   USAIDの援助は20世紀後半から、一時期を除いて60年以上続いてきた。バイデン米政権は7月28日のペドロ・カスティージョ大統領就任式に、プエルト・リコ出身でスペイン語を話すミゲル・オルドーナ教育長官を派遣した。同長官には、カスティージョと同じく小学教師の経歴がある。   カスティージョ政権は「左翼」と喧伝されてきたが、バイデン政権はペルーが米国から離反しないよう、オルドーナ長官をまず派遣し、「善意」を示した。それから1カ月余り、今回のUSAID援助が決まった。  これはカスティージョ大統領が、重鎮のペドロ・フランケ経済相ら穏健改革派の進言に沿って、対米関係を主権尊重の原則に立って良好な状態に維持したい方針であることを示している。  これに対し、政権党PL(自由ペルー)党の国会議員らから、「USAID援助をもらうのは左翼政権・党にふさわしくない」、「新自由主義経済路線の維持継続はまっぴらだ」など、反対する声が出ている。  同党書記長のブラディーミル・セローン党首は3日、自身がフニン州知事時代に関与した汚職事件で、禁錮16年を求刑された。  カスティージョはセローンの「雇われ候補」としてPL党から大統領選挙に出馬し当選したが、本心はセローンや、セローン派国会議員の急進左翼路線から政権を引き離したい考えと見られている。      

ベネズエラ政府・野党間の第2回交渉が墨都で始まる

   ベネズエラ政治正常化のためのマドゥーロ政権と、野党連合MUD(民主連合会議)によるメキシコ市での第2回交渉が9月3日始まった。ノルウェー政府の仲介でメキシコ政府が貸座敷となって8月半ば第1回交渉が実現した。    交渉の場は、メキシコ市内レフォルマ遊歩道にあるソフィテルホテル。4日は6時間に亘って議論し合い、今回の初回交渉は終了した。    政府側代表団は、ニコラース・マドゥーロ大統領の側近中の側近であるホルヘ・ロドリゲス国会議長を首席に、ミランダ州知事エクトル・ロドリゲス、国会議員フランシスコ・トレアルバら全9人。    野党側は、MUDの中核である保守・右翼勢力「4強」が構成する「VEN統一綱領」のヘラルド・ブライド(ブリデ)弁護士を首席に、VP(人民意志)党幹部フレディ・ゲバラ、PJ(まず正義を)党書記長トマース・グアニパら全9人。    「4強」は、AD(民主行動)、UNT(新時代)、PJ、VPの4党。MUDは09年に結成され、18年に活動を停止。だが今年7月末、政党連合として再認可された。    マドゥーロ政権は今会合の眼目を、米国やEUによる経済制裁の解除に置いている。とりわけ英国銀行によるVEN政府の金塊や他の外銀によるVEN政府預金の差し押さえ、PDVSA(ペデべサ=VEN国営石油会社)への封鎖などの解除を優先事項としている。    これに対し「4強」側は、11月21日実施の州知事・市長選挙の公明正大な遂行を求めている。

ペルー政権、「蜜月」遠く、「一難去ってまた一難」

   ペルーのペドロ・カスティージョ大統領は8月末、国会でギド・べジ―ド首相以下内閣の信任を勝ち取ったばかりだが、多数派野党勢力の政権揺さぶり工作は終わらず、今はイベ―ル・マラビー労働・雇用促進相を解任すべきか否かの問題がまな板に載せられている。   それはマラビー労雇相が、1980年から90年代初めまで殺戮を恣にした極左地下結社センデロ・ルミノソ(SL=輝く道)に80年代に所属していたという証拠文書がつい最近、暴露されたからだ。   これを受けてべジ―ド首相は辞任するようマラビーに求めたが、マラビーはカスティージョ大統領の決断にしか従わないとして、はね付けた。だが大統領は、この問題で沈黙し続けている。   証拠文書は、マラビーを良く知る人物が1981年8月、SLの中心拠点だったアヤク―チョ州中心部に位置するウワマンガ県警察本部で行った「マラビーは同県内のSL責任者であり、州都アヤク―チョでテロリズムや破壊活動に関与している」などの証言を綴ったもの。   通常、新政権が発足すると、最初の3ヶ月ないし100日間は暗黙の「蜜月期間」として、野党勢力は「お手並み拝見」を決め込む。だが今年の大統領選挙決選で左翼カスティージョと右翼ケイコ・フジモリの両候補の支持票が拮抗、国論が左右に2分され、その状態が依然続いているため、「蜜月」なしの抗争が展開されている。   国会で保守・右翼勢力を中心とする野党側は多数派であり、政権を揺さぶりやすい有利な立場にある。カスティージョ大統領が政権内部の極左幹部を解任しないまま進めば、「大統領不信任」に発展する公算も小さくない。