センデロ・ルミノソ指導者グスマン受刑囚が死去

    ペルーの極左地下結社センデロ・ルミノソ(SL=輝く道)の最高指導者で元大学教授のアビマエㇽ・グスマン受刑囚(86)が9月11日、肺炎で死去した。

   グスマンはフジモリ政権下の1992年9月リマ市内の隠れ家で逮捕され、カヤオ港にある海軍司令部内の刑務所で終身刑に服していた。多くの殺戮事件に関与した。

   7月に体調を崩し、食べ物を受け付けなくなり、刑務所内の医務室に収容されていた。そこが死の床になった。SLの首領として1980年から92年まで暗躍し、刑務所でぴったり29年過ごして死去した。

   検察庁が公表した検視結果は次のようなもの。「遺体はうつぶせだった。身長167センチの混血成人男性、慢性的衰弱状態、頭部周囲55センチ、乾癬により皮膚には鱗屑(りんせつ)、頭髪および髭は伸びている。衛生状態は普通、上下に義歯。右回腸部分の窪みに4・5センチのケロイド状傷跡、背中仙骨部に複数の傷痕。最近できた外傷の痕跡はない。死後6~8時間経過したもよう。死因は司法解剖を経て明らかになる」

   遺体はカヤオ市内の検察庁法医学局で12日未明終了、死因を「肺炎」と断定した。検察庁は、グスマンの遺体を妻エレーナ・イパラギーレ=レボレード受刑囚に渡すかどうかを検討中。イパラギーレも女性刑務所で終身刑に服している。グスマンは結婚指輪をしていた。

   ペドロ・カスティージョ大統領は12日、グスマン死去に触れて、「これで政府およびべジ―ド内閣とSLを結び付ける疑念の存在する余地はなくなった。もし政府内に<テロリスト>がいることが証明されたら、その人物を真っ先に罰する」と述べた。

   マリーアデルカルメン・アルバ国会議長は、「SLによる犠牲者たちへの負債が依然残っている」と指摘した。アルバは議長就任前までAP(人民行動)党に所属していた。1980年にSLが活動を開始した当時は、べラウンデAP政権だった。

         グスマン逮捕を指揮した国家諜報特別集団(GEIN)司令官だった日系のマルコ・ミヤシロ(68)は、「SL思想を葬るべき時が来た」と語る。ミヤシロはグスマン逮捕の功績で国家警察長官に就任。引退後はケイコ党FP(人民勢力)のリマ市会議員、国会議員を務めた。 

★関係最新参考資料:ルルヒオ・ガビラン著『ある無名兵士の変遷  ゲリラ兵、軍人、修道士、そして人類学者へ』(現代企画室、3000円)

▼妻を移送隔離

   刑務所管理庁(INPE)は9月12日、アビマエル・グスマンの妻エレーナ・イパラギーレを最厳重刑務所に移した。イパラギーレはグスマンの死んだ11日、刑務所外部の人物と電話で交信。これをテロリズム関連の非合法通信と判断され、それが移送の直接的原因とされている。だがグスマン死去後、SL最高位は獄中のイパラギーレと見なされ、脱獄防止措置でもある。司法当局は12日、イパラギーレへのグスマン遺体引き渡しを不可とした。

   グスマンはアヤク―チョ州都アヤク―チョにあるサンクリスト―バル・デ・ウアマンガ大学の哲学教授だった1978年、SLを創設。12歳年下のアウグスタ・ラトーレと結婚した。だが、アウグスタは88~89年の期間に謎の死を遂げた。そのころグスマンはイパラギーレと愛人関係にあった。

▼グスマンの遺体を火葬へ

   ペルー国会は9月16日、「テロリスト」に指定された受刑囚が死んだ場合、その遺体を火葬する法律を可決、17日発効した。11日のアビマエㇽ・グスマンの病死を契機に、新法の立法となった。

   従来のように火葬せずに埋葬したり、遺体を遺族に引き渡したりすると、墓が「聖地」になったり暴かれたりする可能性があるためだ。特に「ペルー史上最悪」とされる、長期に亘る大量殺戮事件に関与したSLの最高指導者グスマンの場合、その可能性が懸念されていた。 

        リマ市チョリ―ジョ地区のピエドゥランヘル火葬場は18日、政府からグスマンの遺体火葬の要請が来た場合、幾多のSLテロリズム犠牲者の遺族に連帯して、火葬を拒否すると表明した。

▼グスマン遺体、火葬さる

   グスマンの遺体は9月24日、カヤオ市内の死体保管所から近くの海軍病院火葬場に移され、火葬された。当局は治安上、遺骨が誰に渡されるか、どこに保管されるかは公表しない方針。

   この24日は国軍記念日。カスティージョ大統領は式典で、「国軍は、祖国を陥没させ、ペルーとその記憶を破壊しようと狙う者たちにとり、最強かつ友誼に満ちた敵である」と述べ、国軍を讃えた。

 

 

 

  

 

 

   

 

 

 

 

 


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