ベネズエラ伝説のゲリラ指導者ドゥグラス・ブラーボ死去
ベネズエラの伝説のゲリラ指導者ドゥグラス・ブラーボが1月31日死去した。88歳だった。 ファルコン州に生まれたブラボは14歳だった1946年、VEN共産党(PCV)に入党。武闘を施行していたため10年後に党から除名される。 59年元日のキュ―バ革命の影響を受けて62年、「ホセ=レオナルド・チリ―ノス(JLCH)ゲリラ戦線」を結成。同州内の山岳地帯を拠点に、時のベタンクール政権於の国軍と戦った。初期の同志にテオドロ・ペトゥコフ(1932~2018)がいる。 平和共存路線に傾斜し武闘路線を否定する共産党から1966年に分裂したVEN革命党(PRV)の指導者に収まるが、引き続きJLCHゲリラ戦線を指揮。ララ州の「シモン・ボリーバル(SBゲリラ戦線」と連携して戦う。 両戦線は新たなPCV離脱者を含めて「民族解放軍」(FALN) となり、これを指揮。FALNは、民主行動党(AD)極左でチェ・ゲバラ路線の「革命的左翼運動」(MIR)と合同し、「FALN-FLN」を結成する。 67年にゲバラがボリビアで処刑され、経済建設が行き詰まったフィデル・カストロがソ連になびくと、ブラーボらVENゲリラ指導部はキューバと袂を分かった。 その後、「表向きの顔」として合法政党「ルプトゥラ」(決裂)を結成、ブラーボの妻アンへリア・メレーが党首となる。 80年代に陸軍に浸透、尉官だったウーゴ・チャベスら青年将校に「革命」イデオロギーを植え付ける。ブラーボはウーゴの実兄で大学教員だったアダン・チャベス(現キューバ駐在大使)と友人関係にあり、そのつてでウーゴらに接触した。 1992年2月のウーゴ・チャベス陸軍中佐指揮による軍事クーデター(未遂)と、同年11月の軍事クーデター(同)に参加。軍事法廷にかけられ収監されるが、翌年恩赦で釈放された。 94年元日メキシコ南部チアパス州で「サパティスタ民族解放軍(FZLN)が武装蜂起すると、これを支持。同州を訪れ、当時の「マルコス副司令」らと会談した。 99年2月チャベス政権が発足するが、蜜月機関が過ぎると同政権を「ブルジョア新自由主義」と非難。後継のマドゥーロ現政権とも距離を置いていた。 時代は変わり、現在のPCVは「革命的人民連合」路線を取り、チャベス派のボリ...