アサンジを亡命者として受け入れたいと墨大統領表明

   ロンドン中央刑事裁判所は1月4日、ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジ被告(49、豪国籍)の身柄引き渡しを求める米政府の要請を退けた。これを受けて同日、メキシコのAMLO大統領は記者会見し、アサンジを政治亡命者として受け入れたいと表明した。

  AMLO(アンドレス=マヌエル・ロペス=オブラドール)は「英司法の勝利だ。英政府がアサンジを恩赦し釈放することを望む」とし、マルセロ・エブラ―ル墨外相に必要な外交手続きを取るよう命じると述べた。

 大統領は、政治亡命を与えるのはメキシコの伝統だと強調。メキシコ政府の庇護を受ける亡命者はいかなる国の内政にも干渉することはできない、と「条件」に触れた。

 メキシコは亡命者受け入れの長い歴史を誇る。古くは1875年、反逆罪でキューバを追われたホセ・マルティを迎え入れた。新しくは2019年11月、クーデターで打倒され生命の危険に瀕していたエボ・モラレスボリビア大統領(当時)を、政府機を派遣して救い、身柄をメキシコ市に移し、亡命者とした。

 スペイン内戦中(1936~39)から内戦後にかけては、内戦に敗れた共和国支持派を多数迎え入れた。同じころ、スターリンの魔の手を逃れたレオン・トロツキーや、演劇家・佐野碩を亡命者として受け入れた。

 1955年には、モンカーダ兵営襲撃蜂起に失敗し逮捕されたフィデル、ラウールのカストロ兄弟らを亡命者として迎えた。志士たちは56年12月キューバに上陸し、59年元日にキューバ革命勝利に漕ぎ着けた。

 60年代には、ブラジルの農民運動指導者フランシスコ・ジュリアンを迎え入れた。

 1973年9月のチリ軍事クーデター直後から、抵抗し自殺したサルバドール・アジェンデ大統領の夫人オルテンシア・ブッシら多くのチリ人亡命者を受け入れた。

 枚挙にいとまがないが、多くの場合、亡命者は文化的な質が高く、メキシコに計り知れない恩恵を持たした。

★ビデオジャーナリズム「デモクラシータイムス」の「ラ米文化シリーズ」第2回「亡命は文化」(20年12月)をPCで参照されたい。

▼英法廷は保釈を否定

 ロンドンの法廷は12月6日、保釈金支払いによるアサンジ仮釈放は、米政府の控訴を待ち、その審理が終わるまでは認めないと判断した。

 

 


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