ラテンアメリカを愛し踏査し料理を身に着け友人をつくったラ米学徒・久保崎夏(くぼさき・なつ)が9月4日、41年の人生を終えた。その葬儀が本日8日、埼玉県草加市にある谷塚斎場で挙行された。 故人の遺志により「無宗教」の音楽葬として催され、女性音楽家2人がヴァイオリンとエレクトーンをそれぞれ演奏、その重厚にして物悲しい曲を枕に、葬儀は進行した。 父親の久保崎輯さんが喪主として挨拶。伯父・早乙女勝元さんは、大学生だったころの夏らとミャンマー(旧名ビルマ)を訪問し、自宅軟禁中だったアウン・サン・スー・チーと面談した逸話を明かした。夏の従姉・早乙女愛さんも夏の思い出を語った。 夏は明治大学を卒業して数年後、立教大学ラ米研究所の受講生になった。スペインの「ベンポスタ子ども共和国」のベネズエラ版「共和国」に半年滞在し、ラ米に関心を抱いた。好きになったのだ。だからラ米研にやってきた。 私は2005年4月から14年3月まで9年間、ラ米研の「現代ラ米情勢」という講座の担当講師だった。夏は優秀な受講生だった。読み聴いて学んだことを、現地に赴き、脚と目で確認した。だから休暇をやりくりしては、ラ米を、そして世界を旅行していた。 葬儀にはラ米研時代の級友7人も参列した。メキシコ市在住の級友2人からは弔電が届いた。ブエノスアイレスやバルセローナの友人らからも悼む声が届いていた。 私はジャーナリズム活動の一環として、来日するラ米諸国の文化人、知識人らにインタビューするが、夏には10人ぐらいの取材で、相手の人物を撮影する写真家を務めてもらった。 そのなかには、文豪ボルヘス夫人マリーア・コダマ(日系亜国人)、ノーベル文学賞作家マリオ・バルガス=ジョサ(ペルー人)、キューバ性教育センター所長マリエラ・カストロ(ラウール・カストロ前共産党第1書記の娘)らが含まれている。夏は物おじすることなく、淡々と撮影をこなした。 夏は、ラ米の白い民俗衣装に身を包んで横たわっていた。若くして不治の病に侵された無念さからは解放されていたが、その情念の残り香が漂っていた。 薔薇やさまざまな花で棺を飾るとき、彼女の顔の周囲は赤薔薇で包まれた。メキシコ調の色彩であり、フリーダ・カロに少し似た雰囲気が醸し出された。 夏は1980年6月生まれ。初夏の産ゆえに「夏」と命名された。私は西語の男性
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