チリ大統領選挙決選勝利の鍵は「中道化」

   11月21日実施のチリ大統領選挙は22日最終結果が判明。候補者7人の得票順位は;

①極右ホセ=アントニオ・カスト(55、共和党)27・91%

②左翼ガブリエル・ボリッチ(35、拡大戦線)25・83%

③人民主義(ポプリズモ)フランコ・パリシー(平民党)12・80%

④保守セバスティアン・シチェル(無所属)12・79%

⑤中道ヤスナ・プロボステ(キリスト教民主党)11・61%

⑥穏健左翼マルコ・エンリケスオミナミ(進歩党)7・61%

⑦極左エドゥアルド・アルテース(愛国同盟)1・47%。

  カストとボリッチが12月19日の決選進出が決まった。両者の得票差は2・8ポイント(14万6000票)。投票率は47・34%と低かった。

  決選勝利の鍵は、リベラルから穏健右翼までを包含する人民主義のパリシー、政権党候補で保守のシチェル、中道プロボステ、穏健左翼のエンリケスオミナミの「中道両側票」をいかに多く引き寄せられるかだ。

  この4人を支持した有権者は極右や左翼に拒否反応を示したのだ。有権者の多数派工作せねばならない極右カストと、共産党候補に勝って左翼連合統一候補となった左翼ボリッチは共に「中道接近」を迫られている。

  カストの躍進は、2019年10月以降の「学生蜂起」と、その結果としての軍政憲法に替わる民主憲法を起草する制憲議会開設に反発する保守・右翼・極右勢力や財界の危機感の表れだ。起草作業は進んでおり、新自由主義経済路線は大幅修正のまな板に載せられている。

  一方、ボリッチは19年蜂起の「申し子」で、若い世代の希望。若さと勢いがあるが、政治家としては未熟だ。共産党と調整しつつ、中道方向に傾斜せねばならない。

  年配の有権者が懸念するのは、今選挙が1970年9月の大統領選挙の構図と、やや似ていること。左翼サルバドール・アジェンデ(人民連合)、中道ラドミロ・トミッチ(キリスト教民主党)、右翼ホルヘ・アレサンドリ(国民党)の三つ巴の闘いとなり、①アジェンデ②アレサンドリ③トミッチとなった。過半数得票者はいなかった。

  アジェンデが1位になったのは、共産党候補パブロ・ネルーダが出馬を取り止め、左翼統一候補になったこと。アジェンデは大統領就任後、ネルーダを駐仏大使に任命した。ネルーダはパリに着任して間もなく、ノーベル文学賞受賞の通知を受けた。

  当時の決選は国会でなされ、トミッチ陣営に支持されたアジェンデが10月当選、11月初め政権に就いた。だがニクソン米政権が当初からクーデターを狙い、指導部がトミッチでなくなり保守化したキリスト教民主党が反アジェンデに回った。

  米政権に後押しされたアウグスト・ピノチェー陸軍司令官をはじめとする智軍部は73年9月11日、流血のクーデタ―を起こした。軍政は3200人を殺害することになる。

  アジェンデはクーデター当日、大統領政庁に籠城。窓から機銃を撃って戦ったのち、その機銃で自害した。その約10日後、ネルーダは軍政に連行された病院で急死。毒殺された疑いが濃厚だ。

  カストは軍政独裁者ピノチェーを礼賛。これが保守派有権者の多くを警戒させ、中道に走らせた。それがパリシー、シチェル、プロボステの3候補の元に分散した。

  投票率が伸び悩んだのは、19年「蜂起」後、制憲議会開設国民投票、制憲会議代議員選挙、地方選挙と続き、「選挙疲れ」したのも理由として挙げられる。

  

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