フィデル・カストロ没5周年、その名被せた研究所開所

    キューバ革命の指導者だった故フィデル・カストロ=ルスが2016年11月25日に90歳で死去してから5周年の11月25日、ハバナ市革命広場区に「フィデル・カストロ=ルス」セントロ(センター)が開所した。

         式典には、フィデルの実弟ラウール・カストロ陸軍大将、ミゲル・ディアスカネル大統領(共産党第1書記)、政治局員たちに加え、ベネズエラのニコラース・マドゥ―ロ大統領夫妻が出席した。

   式典では演説は一切なかった。マドゥーロは別途、「フィデル・カストロ司令官は、超重要かつ不滅の英雄だった。あらゆる人々の尊厳と主権を守るため、困難な状況の下で玖人民を導いた」と讃えた。 

   このセンターは、フィデル・カストロの思想、著作、ゲリラ戦、革命政策などを研究し、研究結果や出版物を伝播するための研究所だ。

   カストロは、自分の氏名を道路、広場、空港など公共施設の名称に使用してはならないと遺言。それは立法化された。開所したセンターは、「個人崇拝」とは無関係の研究機関であるため、「唯一の例外」として氏名使用が認められた。

   この日、共産党機関紙グランマをはじめ国営メディアは一斉にフィデル追悼記事や番組を組んだ。友邦諸国の指導者からは追悼メッセージが寄せられている。

   共産党政権は、ことし7月以来、反体制運動や対政府抗議行動があからさまになっていることから、一種の鎮静剤として「フィデル礼賛」キャンペーンを張っているわけだ。だが世代交代が著しく、高齢層はフィデルを懐かしがるが、若者らは「過去への関心」は低い。

   ニカラグア政府はこのほど、キューバ人に対し観光など一時滞在のための査証を免除した。ハバナーマナグア航空便はコロナ禍で停止されていたが、近く再開される見通し。

   ハバナ市内のコパ航空やコンビアサ航空の事務所には25日、航空券を求めるキューバ人が殺到した。彼らは「物資に困らない日常生活と自由」を求めて出国したいのだ。

   従来、出国希望のキューバ人は、南米北部から中米地峡を越えてメキシコまで北上し、米国入国機会をうかがう者が多かった。 だが同地峡越えなどは多くの危険が伴う。

   ニカラグアまで飛べば北上は、はるかに楽になる。ニカラグア政府も、来訪するキューバ人のほとんどが国内に留まらず北上すると判断、観光・短期査証免除に踏み切った。

 

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