岩波ホールが映画「夢のアンデス」上映開始

  ◎鑑賞感想文;「夢のアンデス」ー希望と絶望の輪廻ー   伊高浩昭

   チリ人映画監督パトリシオ・グスマンの2019年作品「夢のアンデス」(原題「夢の大山脈」)を観た。無論、南米で「ラ・コルディジェ―ラ(大山脈)」と言えば、アンデス山脈に他ならない。この作品は「光のノスタルジア」、「真珠のボタン」に続く三部作の3番目で、私はチリ軍事クーデター48周年記念日前日の9月10日、東京・渋谷の試写会場で時宜良く観た。コロナ疫病COVID19が醸す煩わしさと外出する億劫さから20ヶ月以上、映画鑑賞から遠ざかっていたが、これは観ないわけにはいかないと発心し出掛けたのだった。

  グスマンは1973年9月11日の軍事クーデター直後、その前年からの「チリの闘い」撮影などから睨まれていたため、一時期迫害された。解放されると、フィルムを守り制作の自由を確保するため、パリに去った。その後の作品は一時帰国して制作しても、「祖国を遠望する思想」(伊高造語)と遠近法を踏まえたものとなり、その最たるものが最新作「夢のアンデス」だ。老境も80歳の佳境に至った監督は、太古から現代までチリの動静を見守ってきたアンデスの「不変」と「過去を記憶する地層」を探求しつつ、懐念(サウダーディ)に駆られ、作品を「あのクーデター前のチリは還らない」の言葉で締め括る。

  監督は偉大なアンデスを、最高峰アコンカグア(標高6960m)をはじめ名のある高峰を特に描き出すことなく、コンドルが舞うように、あるいは夢遊病者のように漠然と描く。高く低く、行きつ戻りつしながら鳥瞰する不思議さを、私はしばし味わった。

  サンティアゴ・ブエノスアイレス間、リマ・ラパス間、そしてパナマ地峡からマゼラン海峡までと、アンデス上空を盾に横に何十回も飛行した私だが、コンドルの眼で俯瞰したのは初めてだ。この映画を観ながら私は、クーデターに終わったアジェンデ時代のチリ、まさにクーデター直後のチリ、さまざまなラ米の出来事を現地取材し、老境に入ってからは遠近法を駆使しつつ、55年間観察してきた自分の来し方を回想していた。脳裏の回路が画面と混線するのも厭わずに。 

  この映画が2019年に制作されたのは偶然ではない。同年10月から20年3月まで5カ月に亘ってチリ全土で、新自由主義経済路線により生じた絶望的なほど巨大な貧富格差や社会的不正義に強烈に反逆する大学生ら若者が蜂起し、富豪大統領セバスティアン・ピニェーラの保守・右翼政権を崩壊の瀬戸際まで追い込んだ。

  本作に登場して語る映像写真家にして映画監督のパブロ・サラスの手腕によるものか、チリ経済のいびつな繁栄を物語る高層ビル群の谷間を何万人もの若者が洪水のごとく行進したり、カラビネロス(準軍警察部隊)に弾圧されたりする場面がふんだんに盛り込まれている。

  73年クーデター後最大の動員となったこの蜂起の結果、国民投票とジェンダー平等の制憲会議(CC)代議員選挙が実施され、開設されたCCは21年7月から新憲法制定に向けて作業を続けている。軍政下の80年に制定された自由主義に立つ現行憲法に替わる民主憲法は、早ければ22年内にも制定される。

  グスマンは19年蜂起の初期の映像を盛り込んだことで、新憲法制定に繋がる近未来を先取りしたとも言える。掌(たなごころ)の孫悟空を見守る釈迦のように、チリの行く末を見守るアンデスをグスマンは少しばかり喜ばせたのだ。

  チリでは来月(11月)21日、大統領選挙が実施される。主要候補は左翼・中道左翼、中道・中道保守、保守・右翼の3陣営の3候補だ。70年の大統領選挙も同じ思想傾向の3人が争い、左翼のサルバドール・アジェンデが得票1位となり、国会での決選に勝ち、大統領になった。だが3年後、クーデターで圧し潰された。半世紀近い隔たりのある今、パラダイムの変化が乏しいのか、同じような政治的状況が繰り返されている。

  私が「夢のアンデス」を観た日、豪州秘密情報局(ASIS)がCIAの求めに応じ、71年から73年まで、サンティアゴに秘密拠点を設け、アジェンデ打倒工作のための諜報活動に加担していたという、おぞましい事実が明らかにされた。

  9月17日には、サンティアゴ市内サンホアキン地区にあるアジェンデ立像と台座が赤ペンキでひどく汚された。台座には、クーデター当日、アジェンデが叛乱軍の空爆で炎上するモネーダ宮殿(大統領政庁)内で自害する直前にラジオを通じて国民に伝えた最後の演説の言葉が刻まれていた。

★「夢のアンデス」は昨10月9日から11月19日まで、東京・神田神保町の岩波ホールで上映されています。その後は全国で順次上映されます。

  

  

  

 

 

 

   

  

  

 

  

 

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