広島・長崎被爆の惨劇を記す書籍『爆弾』が刊行さる リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 8月 07, 2021 この夏、広島・長崎への原爆投下による惨事を詳述する『爆弾』という本がフランス語で刊行された。 ベルギー人作家ディディエ・アルカントゥ、カナダ人イラストレイター、デニス・ロジャー、フランス人ジャーナリスト、ローラン=フレデリック・ボレエの共著。 その西語版『ラ・ボンバ』も、スペインの出版社ノルマから出た。472頁と分厚い。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
メキシコ大統領が太平洋同盟の経済路線を批判 12月 12, 2020 メキシコ、コロンビア、ペルー、チリのラ米太平洋岸4か国が「ラ米とAPECとの橋渡し役」を自認して2011年に結成した「太平洋同盟」(AP)の第15回首脳会議が12月11日、議長国チリの首都サンティアゴで開かれた。 セバスティアン・ピニェーラ智大統領とイバン・ドゥケCOL大統領はサンティアゴから、アンドレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO=アムロ)墨大統領と、このほど就任したばかりのフランシスコ・サガスティ秘暫定大統領は遠隔テレ参加した。 会議は、コロナ禍COVID19の爆発的蔓延を受け、「ディヒタル市場」(日本では「デジタル市場」)を拡げ通商を活発にすることを決めた。会議終了時に議長はピニェーラからドゥケに引き継がれた。 APは新自由主義路線だが、2018年末、社会的市場経済路線の民族派大統領AMLOがメキシコに登場してからは活動が低調になり、今年はコロナ禍で停滞していた。 今首脳会議は、AP議長交代、ペルー大統領交代、トランプ米政権終焉間近、コロナ禍などを背景に開かれた。AMLOは、「新自由主義経済路線の無能力さ」について考えるべきだと訴えた。これは、AP結成以来の経済路線を批判したことになる。 AMLOは、「経済権力と政治権力は明確に分けられなくてはならない。政府が少数派のために奉仕すれば、発展はない」と強調。弱肉強食の自由放任市場経済体制が絶対的多数の貧困と一握りの超富裕層を生んでしまった経済状況を糾弾した。 日本の自民党政権は伝統的に財界と密着、政経権力は一体化してきた。1980年代の中曽根政権期に新自由主義路線が定着、今日に至る。 続きを読む
竹田鎮三郎画伯を描く映画「TAKEDA」へのいざない 7月 23, 2020 在京メキシコ(墨国)大使館文化部は7月24日~26日、ドキュメンタリー映画「TAKEDA」をオンラインで流している。コローナ禍で外出を避けたい人々に対する粋な計らいだ。 https://youtu.be/XcOrJwIhD_U もしくは、 https://www.facebook.com/Takedafilm/videos/650451459131428 南墨(メキシコ南部)オアハカ州都オアハカ市の郊外で制作を続ける竹田鎮三郎画伯(今年85歳)が、なぜ日本を去りメキシコに移住し定着したかを描く、墨映画庁2017年製作のドキュメンタリー映画(90分)である。 竹田は愛知県瀬戸市の農家に生まれ、東京芸術大学を卒業したが、抽象画や巴里派としっくりいかなかった。故郷の先達でメキシコに名を残した先輩画家、北川民次を師と仰ぎ、1963年渡墨する。初期はサンカルロス美術学校(メキシコ国立自治大学美術学部)に学び、かつ教えながら、日系画家ルイス西沢のアトリエ兼住居を借りて制作。そこは、墨都の代表的大衆地区の一つテピート地区にあった。 後に地下鉄フアナカトゥラン駅に近いタクバヤ地区に住んだが、やがてオアハカ市に移り、ここを永住地に定める。同市にあるオアハカ大学美術学部の教授、学部長も務めた。「オアハカ画壇」の押しも押されもせぬ指導者、長老となり、今日に至る。弟子たちが少なからず画家として、メキシコ内外で活躍している。 メキシコ、他の米州諸国、日本で個展、回顧展を数多く開いてきた。油絵と版画が中心だ。作風については、この映画を観て、判断願いたい。 映画はまず、農村生まれの「農民」という出自を自認し、置かれた共通の立場をメキシコ南部の農民に見出す竹田を、オアハカと瀬戸を舞台に描く。東京渋谷にある故岡本太郎画伯の代表作の壁画「明日の神話」にしばし向き合う竹田だが、表情は空虚だ。 雑踏の東京、同じく大都会のメキシコ市、いずれも、もはや縁なき空しい都会砂漠に過ぎなくなっていた。岡本の壁画も、そんな雑踏の一角にある「付属物」だと竹田の目には映ったのか。 実は私(伊高)は1967年にサンカルロス美術学校で竹田を取材して以来、53年に亘って竹田と交流してきた。テピートやフアナカトゥランで、日本から竹田の元に届くたくさんの新刊書を読みまわしては読書会をした。私は... 続きを読む
ラ米学徒、久保崎夏の思い出 9月 08, 2021 ラテンアメリカを愛し踏査し料理を身に着け友人をつくったラ米学徒・久保崎夏(くぼさき・なつ)が9月4日、41年の人生を終えた。その葬儀が本日8日、埼玉県草加市にある谷塚斎場で挙行された。 故人の遺志により「無宗教」の音楽葬として催され、女性音楽家2人がヴァイオリンとエレクトーンをそれぞれ演奏、その重厚にして物悲しい曲を枕に、葬儀は進行した。 父親の久保崎輯さんが喪主として挨拶。伯父・早乙女勝元さんは、大学生だったころの夏らとミャンマー(旧名ビルマ)を訪問し、自宅軟禁中だったアウン・サン・スー・チーと面談した逸話を明かした。夏の従姉・早乙女愛さんも夏の思い出を語った。 夏は明治大学を卒業して数年後、立教大学ラ米研究所の受講生になった。スペインの「ベンポスタ子ども共和国」のベネズエラ版「共和国」に半年滞在し、ラ米に関心を抱いた。好きになったのだ。だからラ米研にやってきた。 私は2005年4月から14年3月まで9年間、ラ米研の「現代ラ米情勢」という講座の担当講師だった。夏は優秀な受講生だった。読み聴いて学んだことを、現地に赴き、脚と目で確認した。だから休暇をやりくりしては、ラ米を、そして世界を旅行していた。 葬儀にはラ米研時代の級友7人も参列した。メキシコ市在住の級友2人からは弔電が届いた。ブエノスアイレスやバルセローナの友人らからも悼む声が届いていた。 私はジャーナリズム活動の一環として、来日するラ米諸国の文化人、知識人らにインタビューするが、夏には10人ぐらいの取材で、相手の人物を撮影する写真家を務めてもらった。 そのなかには、文豪ボルヘス夫人マリーア・コダマ(日系亜国人)、ノーベル文学賞作家マリオ・バルガス=ジョサ(ペルー人)、キューバ性教育センター所長マリエラ・カストロ(ラウール・カストロ前共産党第1書記の娘)らが含まれている。夏は物おじすることなく、淡々と撮影をこなした。 夏は、ラ米の白い民俗衣装に身を包んで横たわっていた。若くして不治の病に侵された無念さからは解放されていたが、その情念の残り香が漂っていた。 薔薇やさまざまな花で棺を飾るとき、彼女の顔の周囲は赤薔薇で包まれた。メキシコ調の色彩であり、フリーダ・カロに少し似た雰囲気が醸し出された。 夏は1980年6月生まれ。初夏の産ゆえに「夏」と命名された。私は西語の男性... 続きを読む
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