大統領決選期のペルーで「輝く道」残党が14人殺害か
ペルー国軍合同司令部は5月24日、同国中東部の渓谷VRAEM(ブラエム)にあるサンミゲル・デル・エネ村の住民14人の他殺体が23日夜、発見されたと発表した。司令部は、農村武装集団「センデロ・ルミノソ」(SL=輝く道)の仕業と断定的に見ている。
14人になかには子供2人、女性1人が含まれていた。密林の彼方から白煙が登るのを不審に思った村人が、小川の畔で、子供2人を含む4人の焼死体を見つけ、事件が発覚したという。
VRAEMは、「アプリマック・エネ・マンタロ3川渓谷」の略称。この国有数のコカ葉産地だ。このため麻薬コカイン利権を争うマフィア、武装集団など犯罪組織がうごめいており、2006年からは軍隊の監視下にある。
しかし、今回の事件は唐突に起きた。大統領選挙決選まで2週間の時点でだ。逆転勝利を狙う劣勢のケイコ・フジモリ候補は、相手のペドロ・カスティージョ候補を「SLと関係がある」と攻撃してきた。この点では、今回の事件はカスティージョに不利に作用する。
早くも、ケイコに勝たせたい保守・右翼が仕組んだ謀略ではないか、との見方が出ている。地方の小学教師が本職のカスティージョは、「SLとの繋がり」を否定している。
SLは、ペルーが軍政期(1968~80)を終え、民政移管し発足したべラウンデ政権期に農村部で登場。当初は毛沢東主義を掲げていた。一種のカルト組織で、従わない者を殺害しまくった。
1992年、ケイコの父アルべルト・フジモリ大統領期にSL首領アビマエル・グスマンが逮捕され、終身刑に服している。グスマン逮捕による「SL壊滅」は、フジモリの業績の一つになっている。
軍は、VRAEM一帯に潜むSL残党の犯行と見ている。「ホセ司令」こと、ビクトル・キスぺ=パロミノの指揮下にあるコマンドという。
ケイコは今決選選挙戦終盤に、父フジモリの「集団法外処刑命令」や、憲法停止・国会閉鎖など「お手盛りクーデター」を挙げられ、攻撃されている。
当のケイコは24日、「SL残党による不安定化行動から国を守る側に投票してほしい」と、自身への支持を訴えた。
▼犠牲者16人に
フランシスコ・サガスティ秘暫定大統領は5月25日、SL残党による殺戮事件の犠牲者は、新に2遺体が見つかり、計16人になった、と発表した。
ペルーのオンブスマン事務所は同日、今回の事件を糾弾しつつ、「事件を政治利用しないように」と警告した。
一方、陸海軍合同部隊は26日、事件発生の現地に到着。犯罪集団の捜索を開始した。
▼議員選当選者の裁判再開、ケイコに不利な報道も
ぺルー法廷で5月27日、ギジェルモ・ベルメホ容疑者の裁判が再開した。ベルメホは4月の国会議員選挙に自由ペルー党から出馬し当選したが、「センデロ・ルミノソ(SL=輝く道)の元メンバー」という容疑で起訴されている。
検察は、ベルメホが08~09年にSLに所属していたとして、禁錮20年を求刑している。
この時期の裁判再開は、16人殺害事件直後にして決選直前であり、同党大統領候補ペドロ・カスティージョに不利、ケイコ・フジモリに有利に作用すると見られている。
ケイコは27日、クスコ市に入ったところ群衆から遊説を阻止され、屋内での会合しかできなかった。群衆はカスティージョ支持で、16人殺害事件を陰謀と見なしている。
一方、ケイコに不利な報道もなされている。コロンビア麻薬マフィアを支配していた故パブロ・エスコバルの弟ロベルトは2000年に、1989年当時大統領候補だったアルべルト・フジモリにパブロが現金100万ドルを選挙資金として渡したと暴露した。その時の記事が採録されたのだ。
フジモリの側近となるブラディミロ・モンテシーノスが、この資金の運び屋だった。フジモリとパブロの間の仲介役はモンテシーノスとロベルトが担っていたという。
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