ペルー大統領選挙決選は左右対決へ【解説】

    4月11日実施のペルー大統領選挙は13日、選挙庁(ONPE=オンぺ)が開票率96・7%段階での集計結果を発表。①ペドロ・カスティージョ(自由ペルー)19・08%②ケイコ・フジモリ(人民勢力)13・36%③ラファエル・ロペス=アリアガ(国民刷新)11・68%④エルナンド・デ・ソト(ペルー前進)11・62%⑤ジョニー・レスカ―ノ(人民行動)9・10%⑥ベロニカ・メンドサ(共にペルーのため)7・84%⑦セサル・アクーニャ(進歩のための同盟)6・05%⑧ダニエル・ウレスト(ペルーは可能)5・65%⑨その他10候補計15・57%ーだった。

   投票率は72%。白票は12%だった。

 既に世論調査会社IPSOSが11日夜発表した速算とほぼ同じで、ONPE集計の著しい遅れが際立ち、またも開票・集計への信用性が傷ついた。ONPEは「開票・集計要員の欠席が多かった」など信じがたい言い訳をしている。

 ともあれ、上位1、2位が事実上確定、左翼カスティージョと保守・右翼フジモリが6月6日の決選に進出することが確定的となった。

 国家選挙審査会(JNE)は、開票集計が済み次第、両候補の得票集計表(アクタ)を5月初めまでに精査。これにより正式に決選進出が公認される。

▼両候補の横顔

 カスティージョ(51)は地方の農村学校教師。農民でもあり、日焼けした精悍な風貌。押しが利き、自身に満ち、雄弁家で迫力がある。つまりカリスマが光る。

 かつてキューバ革命と、故ウーゴ・チャベス大統領期のVENボリバリアーナ革命に憧れていた。今世紀初め、フジモリ政権崩壊後の混乱期を収拾する大統領選挙で誕生したアレハンドロ・トレード大統領の政権党「可能なペルー」(PP)に入党した。

 だがトレードは、「先住民大統領」と自己宣伝して登場しながら汚職にまみれ、有権者の期待を大きく裏切った。任期切れの後、追及をかわすため出国、米国に潜伏していた。だが米当局に拘禁され、身柄引き渡しを待つ身。

 同党を離脱したカスティージョは2017年、教員ストライキを成功させ、教組指導者として一躍有名になった。だが政治的には無名だった。教組仲間らが今大統領選挙を目指して「自由ペルー」を結党、党首が出馬する予定だった。だが党首はある事件で出馬資格を失い、代わってカスティージョが立候補することになった。

 政策は、ボリビアのエボ・モラレス政権期(2006~19)に確立した国家主導の主権経済路線。自由放任市場経済の新自由主義に反対する。地下資源を国有化・国営化し、財閥や外国資本による収奪を防ぎ、増えた国庫資金で富の再分配、インフラ整備などを進める路線。ボリビアはこれによって独自の経済建設に成功した。

 成功しすぎたためモラレス政権は、米国および伝統的支配階層に妬まれて19年11月クーデーで打倒された。だが20年11月、後継のアルセ現政権が復活した。

 カスティージョの決選進出で、秘財界には激震が走った。1990年に登場したアルべルト・フジモリ大統領以来30年あまり続く新自由主義路線が終焉の危機に瀕していると受け止められたからだ。

 選挙直前までカスティージョは、いかなる支持率調査でも「当選可能候補」に入っていなかった。まさに選挙戦最終晩期で「ウラカン(台風)」が吹きまくり、1位に躍り出た。

★フジモリは、2件の政治的虐殺事件を命じた責任などを問われて禁錮25年の刑に服役中。その長女ケイコ・フジモリがカスティージョの対抗馬となるのだ。

 94年から、離婚したフジモリの「プリメラ・ダマ(ファーストレディー」役に就いたケイコは政治に開眼。2011年と16年の過去2回決選で善戦したが、そぞれぞオヤンタ・ウマーラ、PPクチンスキに敗れた。 

 とくに前回は1位で決選に進出しながら、根強い「反フジモリ主義」が災いし、対立候補に勝利をさらわれた。2度の苦杯に学んだケイコだが、選挙ひと月前の3月11日、反フジモリ派のホセ=ドミンゴ・ペレス検事は法廷に、禁錮30年と「人民勢力」解党を求刑するよう求めた。明かな選挙妨害だった。

 ケイコは2011年選挙時に、ラ米建設業界最大手だった伯企業オデブレシー(オデブレヒト)が120万ドルを受け取り選挙資金に回した容疑で後に起訴され、収監された。いまは保釈金を支払っての保釈の身だ。

 3度、反フジモリ主義に叩かれているわけだが、さすがにフジモリ政権崩壊から21年目にあって同主義は以前ほどではない。財界主流は反フジモリ主義ではない。

 ケイコにとっての「天祐」は、決選の相手が新自由主義路線の候補にならなかったことだ。ケイコは逸早く、「決選は国のモデルをどう選択するかの戦いだ」と強調。カスティージョの「国有化路線」に対し、「社会市場経済」路線を唱えている。

 これは私企業主体の新自由主義に国による社会政策を加えた路線。多くの国々で実施されてきた。

 ケイコには、保釈中の身であることや、反フジモリ主義の「伝統」という不利な条件が付きまとっている。だがケイコはコロナ禍の下、全国をくまなく回って選挙戦を展開。首都リマをはじめ都市部の貧困層の支持も勝ち得て、2位の座をつかんだ。ダークホースが本命の一人にのし上がったのだ。

★新自由主義路線を30年も維持してきたペルー社会の大勢は、ケイコの対立候補がカスティージョとあればケイコになびく公算が大きい。

 カスティージョの勝機は、農村票、労組票を固めながら、都市貧困層に食い込みつつ、浮動票・棄権票を最大限に開発してゆくことだろう。予想される「反極左攻撃」に耐え、それを力に変えるほどの逆宣伝能力が必要だ。持ち前のカリスマは試練に直面している。

【▼作家マリオ・バルガス=ジョサ(MVLL)がケイコ支持表明:MVLLは4月17日、決選ではケイコ・フジモリを「次悪」として支持すべきだ、と述べた。1990年の決選でアルべルト・フジモリに敗れた後、反フジモリ父娘に凝り固まっていた作家だが、ケイコの相手ペドロ・カスティージョを急進的左翼として危険視し、豹変した。】

▼選管最終開票集計結果(4月18日発表)

 ①ペドロ・カスティージョ19・098%②ケイコ・フジモリ13・368%③ロペス=アリアガ11・699%④デ・ソト11・593%⑤レスカーノ9・101%⑥メンドサ7・86%⑦アクーニャ6・035%⑧フォーサイス56・28%⑨ウレスティ56・13%⑩グスマン2・25%ー。 

   

 

 

 

   


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