キューバ共産党大会開会、ラウール第1書記が辞意表明

     キューバ共産党(PCC,党員67万人)の第8回大会が4月16日、ハバナ市内西部の会議殿堂で始まった。開会演説(中央委員会報告)をしたラウール・カストロ第1書記(89)は締めくくりに辞意を表明。最終日の19日に正式に辞任する。ミゲル・ディアスカネル大統領(60)が新第1書記に就任する。

  代議員は300人。コロナ禍のため、大幅に縮小された。最大のテーマは「物資欠乏による未曽有の危機への対応」。これは謳われていないが、誰もが認識している事実だ。

  ラウールは報告で革命後60余年の歩みに大まかに触れ、最近のラ米情勢やコロナ禍について語った後、「満足して退任する。党中枢部に残ってほしいという要望があるが、それは受け入れられない。だが党員として命の最後の瞬間まで革命体制に尽くす」と述べた。そして「祖国か死か」という亡き兄フィデルの革命標語を叫び、代議員らが「勝利するぞ」と応え、報告を終えた。

  党大会初日に逸早く辞意を打ち出したのは、今大会が政経・社会各面で重大な岐路に立たされている状況の下に開かれた重要性を党員および国民に意識させるためだ。

  4月16日という日付は、1961年のこの日、故フィデル・カストロ首相(当時)が「社会主義革命」を宣言した歴史的な節目。その60周年にフィデルの実弟ラウールは最高指導者の地位を離れる意志を明確にした。現在のPCCは65年10月に発足した。

  また翌17日は、ケネディ米政権がカストロ体制転覆のため送り込んだ反革命在米キューバ人部隊が、玖カリブ海側のコチーノス(豚)湾ヒロン浜(プラヤ・ヒロン)に上陸した日。そして19日はフィデルが率いた革命軍と民兵部隊が侵攻部隊を撃破した輝かしい日。その60周年記念日にPCC新指導部が発足する。

  キューバは社会主義経済政策の失敗、米国による厳しい経済封鎖、コロナ禍COVID19蔓延などで経済が疲弊。食糧や薬品が欠乏する苦境が続いている。ラウールが「満足して退任」できる事態ではまったくない。

  国民には青年層を中心に革命体制への不満が充満している。パソコン、携帯電話、スマホなど電子機器の普及は、国の情報独占を打ち破り、国が強権で情報を一元的に統制できる時代は終わった。国民は日々、政府や警察当局に対し平和裏に反逆している。

  その国民不満の中心にあるに日常生活物資の欠乏の解消など具体策を打ち出し、即座に実行できるか否かが、すべてだ。革命戦争後世代となるディアスカネル新指導部が成功するかしないかは、ひとえに経済建設の成否に懸かっている。

  今大会のスローガンは「団結と継続」。だが「貧困の継続」、「物資欠乏の継続」は許されない。PCC も「美辞麗句の時代」からついに「本音の時代」に突入した。

▼3部会に分かれて討議

  党大会は4月16日、3つの部会に分かれて討論した。第1部会の議題は前回党大会以後5年間の経済社会英策の進捗状況で、マヌエル・マレーロ首相が議長を務めた。第2部会は前回党大会決議の実施状況で、ホセ=ラモーン・マチャード第2書記が議長。第3部会はPCC、青年共産主義者同盟(UJC)、革命軍、内務省、国、政府など中枢部門の幹部の任務遂行についてで、ディアスカネル大統領が議長。

★「週刊金曜日」誌4月9日号掲載の拙稿(前触れ解説記事)「キューバ;共産党大会でカストロ第1書記引退へー高まる体制不満、経済浮揚待ったなし」を参照されたい。

▼武力侵攻派を逮捕

 キューバ当局は4月15日、米フロリダ州で対玖侵攻し破壊活動を企てていた玖系米人4人が逮捕された、と明かにした。「新キューバ国」(LNNC)という組織に属すという。いつどこで逮捕されたのは明らかにされていない。

▼革命軍相が交代

 玖革命軍相(国防相)が4月15日、レオポルド・シントゥラ=フリアス大将から、アルバロ・ロペス=ミエラ大将(副革命軍相、総参謀本部長)に交代した。16日からの党大会での人事と関連する決定。

▼米上院が対玖「表現の自由」要求決議可決

 米上院本会議は4月16日、キューバの反体制芸術家・知識人集団「サンイシドロ運動」(MSI)など玖民間組織の言論・表現の自由要求を支持し、玖政府に、その自由を阻む規制を撤廃するよう求める決議を採択した。

▼CIAがラウール暗殺を画策

 米国家安全保障文書館は4月16日、1960年当時のCIA機密文書を公開した。それによればCIAは、プラハ滞在中だったラウール・カストロ革命軍相(当時)を60年7月21日ハバナに運ぶクバーナ航空機を墜落させ暗殺する計画を立て、ホセ=ラウール・マルティネスという玖人操縦士を、ウィリアム・マレーというハバナのCIA要員が1万ドルで買収。同機はハバナを離陸した。

 CIAは同機が欧州に近づいていたころ、暗殺計画中止の命令をハバナ要員に伝えたが、同要員は飛行中の操縦士に伝える術がなかった。結局、同機はラウール一行を乗せて問題なくハバナに帰着。操縦士は「(墜落のための)事故を起こす機会がなかった」とマレーに報告した。

 この陰謀は1976年に米上院のチャーチ委員会の報告に盛り込まれたが、その部分は公表されなかったという。


  

         


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