エル・サルバドール内戦期の虐殺機密文書めぐり騒動

  エル・サルバドール(ES)内戦中の1981年12月、同国北東部モラサン県の森林地帯にあるエル・モソテ村で女性、子供、老人ら1000人を超える村人が2日間に亘って陸軍特殊部隊に虐殺された重大事件の機密資料の扱いを巡ってES政府が揺れている。

 事の起こりはナイブ・ブケレ大統領(右翼)が9月24日記者会見で、4つの書類の束を見せつつ「エル・モソテ事件に関する機密書類はこれがすべてだ。国軍統合参謀本部および、事件に関与したか、その可能性のある兵営数か所に保管されていた」と明言したこと。

 法廷は同事件の重要な捜査資料として入手が急がれるとしていたが、ブケレ大統領は10月15日、「事件資料は含まれているが、重要な書類は全くない」と態度を変えた。事実関係が暴かれるのを恐れる軍部が、相当の圧力をかけたと見られた。

  これに対し法廷は「資料価値を決められるのは裁判所だけだ」と、大統領を批判。時が無為に過ぎているとし、10月20日から5日以内に全書類を検察庁に引き渡すよう大統領に言い渡した。だが23日現在、検察庁には届いていない。

 この国は2009~19年の2代10年、FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線) の政権が続いた。FMLNは、内戦を米軍に支援された支配体制軍と戦い、「痛み分け」に終わったゲリラ連合に始まる革新政党。

 軍の機密資料はFMLN政権下では現れなかった。それが現れ、ブケレが得意げに記者会見で書類入手を公表した。法廷が提示した期限は25日には切れる。

 

 

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