10月12日「コロンブス米州到達日」を考える

  10月12日は、イタリア人航海者クリスト―フォロ・コロンボ(コロン、コロンブス)が1492年に西大西洋バハマ群島のグアナハナ島(現サンサルバドール島)に到着した528周年記念日。欧州人にとっての「新世界」到達記念日だ。

 ベネズエラのニコラース・マドゥーロ大統領はこの日、スペイン国王フェリーペ6世に向けて、「国祭日として祝うのを止め、3世紀に及んだラ米植民地期にスペイン人が犯した先住民殺戮を詫びる日にすべきだ」と訴えた。

 マドゥーロは、ある自動車道の名称「フランシスコ・ファハルド」(スペイン人入植者)を変更し、スペイン人侵入者に抵抗したVEN先住民の「首領中の大首領」グアイカイプーロの名を冠せた。

 VENでは10月12日は「民族の日」(ディア・デ・ラ・ラサ)と呼ばれていた。先住民族とスペイン人ら欧州人が混血(メスティサへ)を始めた日という意味だ。だが2002年、当時のウーゴ・チャベス大統領は名称を「先住民抵抗の日」に替えた。

 マドゥーロは、スペイン人はラ米先住民を8000万人も殺したとして、「何が民族(融合)だ」と糾弾。併せて「出会い(エンクエントロ)の日」という呼び方をも批判した。「新旧」両世界、二つの民族、二つの文明の出会いを意味する名称だ。

 一大メスティーソ(混血民族)国メキシコでは「民族の日」の名称が用いられているが、AMLO現大統領は2019年3月、ローマ教皇フランシスコとフェリーペ6世に対し、謝罪を要求。このほど、あらためてスペイン国王に謝罪を求めた。

 フランコ独裁期のスペインは10月12日を「ディア・デ・ラ・イスパニダー」と呼んでいた。「イスパニダー(スペイン性=偉大なスペインの在り方)」が始まった日という意味だった。とくにラ米から批判され、「スペイン国祭日」に改めた。

 私伊高は記者時代に、フェリーペ・ゴンサレス、ホセ=マリーア・アスナル、ホセ=ルイス・ロドリゲス=サパテロのスペイン3首相や、マヌエル・フラガ元観光相(元ガリシア州首相)らに、「コロンブスの米州到達を<発見>と呼ぶのを止めるべきではないか」と質問した。彼らはこぞって、「いやあれは、確かに発見だったのだ」と断固譲らなかった。

 「発見」を否定したり異論を唱えたりすれば、報道されて、スペイン国内で大問題になるのがわかっていたからでもあろうが、信念でもあったはずだ。

 開拓史が先住民虐殺史でもあった米国は「コロンブスの日」と呼んでいるが、今年半ばからの人種差別反対運動激化の過程で、「先住民の日」と改名する自治体が増えている。メリーランド州ボルティモアでは、コロンブス像が引き倒され、海に投棄された。

 私たち日本人には、北方民族アイヌや南方民族ウチナ―ンチュを蹂躙し同化させた歴史の暗部を真摯に考察する日が必要だろう。

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