「太平洋とはどんな海か」ーピースボートでテレ講座

  日本人が誇るべき「平和建設の一大ソフトウェア」である国際NGO「ピースボート」(平和船=PB)=本部・東京高田馬場=が、2017年の「核兵器禁止条約」採択を促進した「ICAN」(核兵器廃絶国際キャンペーン)で中心的役割を果たしたことは記憶に新しい。ICANは同年、ノーベル平和賞に輝いた。

 私はPB世界一周航海の船上講師を務めてきたが、ICANとの関係では2016年の北大西洋航路が印象深い。アイスランドからNYまで、原爆投下に関与した2人の米国人の孫が乗船し、日本人船客群を前に講演・質疑応答会を開いたのだ。私はこの船に、ロンドンのテムズ河口の港ティルべリーから乗っていた。

 その2人の孫は、広島・長崎への原爆投下を命じたハリー・トルーマン米大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエルと、原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の爆弾投下技術士の孫だった。クリフトンの瞳の形状と光は何と、映像や写真で見た祖父と全く同じだった。

 日本側パネラーには、PB共同代表でICAN幹部の川崎哲、国際政治学や平和学の専門家・武者小路公秀らがいた。

 日本人船客には「原爆投下への謝罪」を求める声があったが、2人の米国人は謝らなかった。その代わりに、現代の日米両国民が理解し合えるよう努力する必要を説いた。私は2人と個別に話し合った。それは私にとっては取材でもあった。

 PBとICANはNYでは国連本部で、核兵器禁止条約採択に向けてキャンペーンを張った。これは、ほんの一例に過ぎないが、こうした長年の地道な積み重ねが条約締結とN平和賞に繋がったのだ。

 とくに重要なのは、広島・長崎の被爆者、同在外被爆者たちをPB船に乗せ、世界各地で講演会を催し、各国首脳や報道機関に核兵器廃止を訴えてきたことだ。

 ▼前置きが長くなったが、PBはコロナ禍により、昨年12月~今年2月の第103回航海(豪州・メラネシア巡り)を最後に航海を休止している。

 そこでPBは、乗船を熱望する多くの人々に応えるため昨8月22日、高田馬場のPB拠点で「第1回PB地球一周船旅オンライン」を催した。10~17時の7時間に亘って、40近いさまざまな「船内企画」が繰り広げられた。

 私は午後の75分間、PBの椎名慈子(のりこ)職員とともに「太平洋とはどんな海か」というテレ講座を開いた。

 2万5000年前にモンゴロイドがアメリカ大陸に陸路で渡ったこと、世界6大文明、アレクサンドロス大王の中東・西アジア征服、シルクロード開発、地中海都市国家群のインド洋貿易、ローマ帝国建国、キリスト教発祥、イスラム教発祥、十字軍、オスマントルコ勃興。。。と話し継ぐ。

 イスラム帝国(サラセン帝国)ウマイヤ朝に征服されたイベリア半島の「国土回復戦」、逸早く解放されたポルトガルのアフリカ周りインド洋航路開発、トスカネリに入れ知恵されたコロンブスの米州航海、それによる欧米の世界支配500年、これに対抗する21世紀の中国の「一帯一路戦略」と、続ける。

 欧州人による「新世界」(南北両米大陸)到達は、先住民族やアフリカ人奴隷にとっては「破壊・殺戮・犠牲の始まり」に他ならないが、世界史的には「太平洋の地理的拡がりの確認」でもあった。

 フィリピンで1521年に先住民に殺されたマガリャンイス(マゼラン)の部下たちは同年モルッカ諸島で、10年前から来ていたポルトガル人たちに会う。イベリア半島両国民は奇しくも、この邂逅により、紀元前3世紀ごろからあった「地球球体説」を証明したことになる。

 逆に見れば、「大地(地球)平板説」の迷信は完全に打ち破られた。その後、コペルニクスの「太陽中心宇宙説」(地動説)、ニュートンの「万有引力原理」などが次々に現れ、科学は発展してゆく。

 日本では、ポルトガル人に伝えられた鉄砲で、戦国時代の戦法や築城法が一変。またスペイン・バスコの宣教師フランシスコ・ザビエルから伝えられたキリスト教で、思想・宗教状況が変化する。欧州の圧倒的戦力と一神教キリスト教は、日本を鎖国に向かわせた。

 天正少年使節団と支倉常長使節団は時間差はあったが、それぞれポルトガルとスペインの世界航路伝いにローマに赴き教皇に会い、「日本人の世界一周」を完成させた。だが、そんな「進取の精神」は鎖国に封じ込められ、狭量で寛容さに欠ける「島国根性」を日本に根付かせてしまった。

▼歳月は流れ1983年、早大生だった吉岡達也(現PB共同代表にして実質的代表)らがPBを創設。多くの困難に打ち克ってN平和賞受賞にも貢献した。だがコロナ疫病で航海休止を余儀なくされている。

 しかし必ずや遠くない将来、平和船は再び世界の大海原を巡り、「ポストコロナ」の荒波を非核平和の旗を掲げ乗り越えてゆくはずだ。そんな希望を込めて私は、「太平洋とはどんな海か」を語った。

▼今年初めのPBメラネシア航海船に乗った私は、グアダルカナル(日本ではガダルカナル)島、パプアニューギニア・ラバウルの両戦跡を訪ねた。その時の取材記事は「週刊金曜日」誌8月21日号に掲載。ご参考まで。

 

 

  

 

  

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