ブラジルの貧者に聖職を捧げたカサルダリガ司教が死去

  伯アマゾニア南部のマトグロッソ州(サンフェリックス・ド)アラグアイアで半生を過ごし、貧者や先住民族のために闘い「人民の司教」と呼ばれたペドロ・カサルダリガ司教(92)が8月8日、入院していたサンパウロの病院で呼吸疾患により死去した。

 カサルダリガは1928年、西国カタルーニャ州に生まれ、45年クラレト修道会に入る。68年布教のためアラグアイアに行き、同地に留まることを決意。ローマ教皇庁から70年に司教に任命された。

 71年、『大土地所有制および社会的疎外との闘いにおけるアマゾニアの一教会』という文書を発表。ブラジルの土地問題についての歴史的重要文書として今も評価されている。司教は「土地無し農民運動」(MST)を積極的に支援した。82年には著書『新しい人間の風貌』を刊行した。

 85年には、レーガン米政権に内戦を仕掛けられていたサンディ二スタ革命体制のニカラグアを訪問。墨チアパス州で94年に起きたサパティスタ民族解放軍(EZLN)の武装蜂起を支持。90年代に『キューバ全体的革命への愛の宣言』も発表した。

 「解放の神学」の実践者だったが、「マルクス主義傾斜」と見なされ、88年にはヨハネ=パウロ2世教皇からヴァティカンに呼ばれ、喚問された。

 司教は風土病マラリアに8回もかかり、75歳だった2003年にはパーキンソン病を患う。定年でもあり、ヴァティカンに引退を申し出たが、その後も司教的立場で活動を続けた。

 だがパーキンソン病に起因する呼吸疾患で肺を痛め、さる8月4日からサンパウロの病院に入院していた。死の報を受け、ラ米司教会議やラ米各国教会組織は哀悼の意を表した。

 司教の遺体は、ニカラグア訪問時に贈られたマントで覆われた。また伯先住民が作った十字架が首に懸けられた。遺体は、故人が司教人生をかけたアラグアイアに埋葬される。

 

 

 

 

 

 

 

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