キューバの歴史家エウセビオ・レアル博士死去

  世界的に知られたキューバの歴史家で首都ハバナの公式史家だったエウセビオ・レアル=スペングレル歴史学博士(77)が7月31日、癌で死去した。

 政府は8月1日を国喪と定め、国中の政府機関を半旗にした。ハバナは悲しみに包まれ、故人がとくに調査や修復に力を注いだ旧市街では、市民が思い思いに白布を通りや窓に掲げ、「永遠にハバナを愛する人レアル」に哀悼の心をささげた。

 レアルは1942年9月ハバナ生まれ。75年にハバナ大学歴史学部を卒業。革命政権ができた59年ハバナ市役所に勤務、67年ハバナ市博物館長になる。79年に旧大統領政庁(元スペイン総督政庁、現革命博物館)の修復作業を指揮。80年にはイタリアの奨学生として留学、ローマをはじめ古都市街地の修復作業を学んだ。

 帰国後ハバナキュ市街の修復に力を入れ、1982年の同地の世界遺産登録に尽力。86年にはハバナ湾東側の丘上にあるラ・カバーニャ、モロ両要塞の修復に当たった。

 91年以降、共産党中央委員、人民権力全国会議(立法府)議員、ユネスコ親善大使、玖日友好議員団副会長や、歴史学会などさまざまな協会の会長を務めた。

 2000年歴史学博士号取得。19年11月16日のハバナ建都500周年行事を指揮。来訪したスペイン国王夫妻を案内した。

 革命以来、故フィデル・カストロ元議長に近かった。旧ソ連書記長、ローマ教皇、各国首脳ら外国要人のハバナ旧市街散策に同伴した。来日時、上智大学や創価大学で講演した。

▼国連が今秋の玖経済封鎖解除決議中止

 国連はコロナ疫病蔓延に鑑み7月29日、総会での米国による対玖経済封鎖解除決議を今秋(10月)は中止することを決めた。21年5月以降に決議投票日程が決まる。

 米国はキュ―バ革命から間もなく経済封鎖を始め、それが他の敵対行動と共に、キューバをソ連に接近させる要因となった。

 キューバはソ連消滅の翌年1992年に封鎖解除決議を国連総会に求め、以来昨年まで28回連続で封鎖解除決議を勝ち取ってきた。決議に拘束力はないが、「対米外交の勝利」を象徴するものとしてキューバには最も重要な「恒例の外交行事」になってきた。

  
 

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