阿波弓夫らのラ米詩人選集3年目に

 日本であまり知られていない外国の詩人、もしくは日本でほとんど知られていないラ米諸国の詩人の作品を訳した「ラテンアメリカ訳詩選集」シリーズの「3」が先ごろ刊行された。第1回(2018年)「ガブリエル・サイード」、第2回(19年)「エンリケ・モヤ」に続く今回は、コロンビアの現役詩人ロムロ・ブストス=アギーレ(65)の作品23点である。

 主宰者は、半世紀近くメキシコをはじめラ米の文学などに取り組んできた古参ラ米学徒の阿波弓夫氏(今年73)。オクタビオ・パスの体験的研究をまとめた大著がある。

 翻訳対象の詩人は、べネズエラ生まれ、オーストリア在住の詩人で、在欧ラ米詩人連盟会長を務めるエンリケ・モヤ(同62、第2回登場)との協働で決めているという。

 「ラ米にはメガトン級の詩人が多数いて対話を求め訴えているのに、詩集は売れないとか、自分には翻訳力がないとか、言い訳したり忖度したりして見て見ぬふりしながら、スペイン語を教えていましたと回顧するふざけた老人になりたくないから」ーこのシリーズ刊行を決意した理由を、阿波はそう語る。

 この選集は今は、A3型くらいの紙1枚の両面に訳詩を刷り込み、それを地図のように縦長に折りたたんで表裏計8ページにした冊子だが、刊行を重ねて、いずれは価値多き1冊になるはずだ。

 「限られた(選ばれた)ごく少数の絶滅危惧種と(問題意識を)共有(共振、共鳴)できるかが、この訳詩の仕事の前提としてある。<反響>という概念など、われわれにはない」と阿波。

 今回の「選集3」では、阿波を含む同人9人が訳している。23点のうち最も長い詩「動物園にて」は阿波訳で、これを取り上げたい。「マンドリル」(狒狒)の「忌まわしい後ろ姿」を描写し、情景に感情移入する面白い作品だ。

 「想像力の中だけで好みに合わせて観察」するという件(くだり)がミソだ。山場は、狒狒を見る「はち切れんばかりの美形臀部の娘たち」と、恥ずかし気な彼女らの目に晒される狒狒の「破廉恥な肛門開花」。作者ブストス=アギーレは、タイプライターでなくパソコンだろうが、そのテクラ(キー)を己のペネで叩いている。

 だが続いて、狒狒の後ろ姿に見るものは「君の外へ溢れ出て、そこで呼吸する内なる君自身に<係わる何ものか>」であることを入園者は悟る、と綴られている。「忌まわしきものは我々を構成し、われわれの内に宿る」所以か。

 他の一群の短い作品にもよく出てくるが、この作者には、自己の存在を客観視し「アルテレゴ」(オールターエゴ)を対置かつ共存させ、それを記す傾向があるようだ。

 しかし、詩は解釈すべきではなく、読み、朗吟し、感じて、受け入れたり拒否したりすればよい。とされ、賛成だ。したがって、上記「動物園にて」の筆者の解釈は無意味だ。

 個人的には、「マンドリル」は「狒狒」としたい。上野動物園で幼稚園の頃から「マント狒狒」に親しんできたからだ。

★9人の訳者は、血を吐くような思いで訳語を紡ぎ、原作に日本語で魂を吹き込んだ。その瞬間、新しい9人の詩人が誕生した。

 古くはルベーン・ダリ―オ、セサル・バジェホ。その後の20世紀はガブリエラ・ミストゥラル、パブロ・ネルーダ、オクタビオ・パス、ニコラース・ギジェンら著名な詩人を生み出してきたラ米だが、本選集は現代ラ米の優れた詩人の作品を日本人に伝える重要な事業だ。新しい作風を新しい読者ー若い日本人ーに味わってほしいものだ。

 
 

 

 

 

 

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