ペルーでべジード首相辞任、バスケス新内閣発足

   ペルーのギド・べジ―ド首相は10月6日、ペドロ・カスティージョ大統領に辞意を伝え、大統領はそれを受け入れた。これにより全閣僚が辞任した。大統領は新首相に、政権党PLの友党「拡大戦線」所属のミルタ・バスケス元国会暫定議長(46)が任命した。

      重要閣僚の経済・財務相と外相らは留任。労働・雇用促進相は交代した。カスティージョ大統領は同日、新内閣との初会合に臨んだ。政府の「左翼・極左色」は薄まり、「中道左翼」ないし「左翼進歩主義」に傾斜した。

   内閣19人のうち女性は、首相を含め5人になった。PL書記長ブラディーミル・セローン被告の弁護士ルイス・バランスエラは、その弁護を下りて内相に就任した。これが早くも「政権の新しいリスク」として問題視されている。

  7月末に発足したカスティージョ左翼政権は、8月半ばのエクトル・べハル外相更迭、8月末の国会でのべジ―ド首相信任などを経て9月、保守・右翼野党勢力による激しいべジ―ド内閣揺さぶり工作を乗り切った。

  だが10月には入ってからも工作は止まず、イベル・マラビー労働・雇用促進相への更迭要求が浮上した。前首相、前外相、労働相はいずれも、極左地下結社センデロ・ルミノソ(SL=輝く道)との「思想的近さ」を問題視された。

  カスティージョは9月ワシントンとNYを訪問、米財界や国際金融機関と良好な関係を築きつつあるが、政権部内の、急進的変革を求める極左勢力に足を引っ張られていた。

  大統領は左翼というより農村民族主義者のであり、もともと中道保守のPP(可能性のあるぺルー)党の地方幹部党員だった。同党首で大統領だったアレハンドロ・トレードは、不正資金受領により追及されて米国に逃亡、ペルーへの身柄引き渡しが迫っている。

  大統領は、べジ―ド前首相の上にいるブラジーミル・セローン書記長のPL(自由ぺルー)党から出馬し当選した。政権党となったPLとは思想的には合わない。内なる極左勢力を切らないと政権は持たないと判断、同書記長や前首相と距離をとりつつあった。

  カスティージョは首相辞任直後、全国向けの談話を発表、べジードへの謝意を表明し、「権力の均衡は法治国家と民主との懸け橋であり、政府においては静寂と一体性が求められる」と述べた。

  さらに、「ペルーは、政府に多くを期待しており、イデオロギーや党派的で孤立した立場を超えねばならない」と強調した。

  通常、新政権は最初の100日間は「お手並み拝見期間」として世論・国会から柔軟に迎えられる。だがカスティージョ政権は、大統領選挙決選で辛勝し国会で少数派であることや、「極左」宣伝が広まっていたことから、発足当初から荒波の中を行く船のように、ぎりぎりのところで難破を免れてきた。

  「反政権」の急先鋒は、カスティージョに決選で敗れたケイコ・フジモリの右翼党FP(人民勢力)だ。FPは、政権党PLに次ぐ国会第2党だ。

▼モンテシーノスが「大言壮語」

  アニーバル・トーレス司法相は10月6日、服役中のブラディミロ・モンテシーノス受刑囚(フジモリ元政権大統領顧問・諜報機関長)は、刑務所を最近訪れた同司法相に対し、海軍司令部構内の刑務所にいた期間に元SL最高指導者アビマエル・グスマン受刑囚(先月死去)と「ペルー平定を計画していた。だが私は別の刑務所に移され、老人(グスマン)は死んでしまった、と語った」と明らかにした。

 

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