トアー・チリ元内相暗殺の自殺偽装犯の起訴確定

     1973年9月11日の軍事クーデターで倒されたアジェンデ智社会主義政権で内相と国防相を務めたホセ・トアー(1927~74)の暗殺を自殺に偽装した元陸軍士官への起訴が4月1日、首都の控訴審で確定した。

  トアーはジャーナリスト出身の社会党員で、サルバドール・アジェンデ大統領の腹心だった。クーデター当日、アジェンデ大統領が籠城していた政庁(ラ・モネーダ宮殿)に駆け付け、軍政当局に逮捕された。アジェンデは機銃で抵抗した後、その機銃で自害した。

  軍事学校に連行されたトアーは拷問された後、南端のマゼラン海峡に面したダウソン島の流刑場に送られた。冬は極寒の地だ。政治囚でなく「戦争捕虜」とされたトアーは強制労働と拷問で健康を害し、身長192㎝のところ、体重が49㎏に落ちた。

  このため軍政はトアーを、マゼラン海峡地方の中心地プンタアレナス市の病院に送り、次いで74年2月1日、首都の軍事病院に移した。ここで暗殺の陰謀が動く。軍政最高指導者アウグスト・ピノチェーの意向が働いたのだ。

  1974年3月15日、トアーの死の日、内務省捜査警察の法医学医師アルフォンソ・チレーンは軍事病院から緊急呼び出しを受け、駆け付けた。トアーの検視を命じられたのだ。

  病院当局は「自殺」と断定した死亡診断書に署名するようチレーンに迫った。だが チレーンは「第三者介在による絞殺」と判断、署名を拒否した。その結果、同医師は捜査警察から追放された。

  トアーの妻、娘、息子の遺族3人はメキシコに亡命した。1990年3月、民政移管がなった。遺族の要請で首都控訴裁は2010年11月、トアーの遺体を発掘し解剖。11年11月には軍事病院で現場再現検証が実施された。チレーンの証言が物を言ったのだ。

  暗殺に関与したラモーン・カセレスら退役大佐3人が15年12月「執行猶予3年」という変則的な有罪判決を受け、確定した。上官命令による暗殺のため、このような判決となった。

  次いで事件当時、陸軍大尉で、病院長の補佐官だったホルヘ・チョバーン退役中佐が自殺に偽装した罪で起訴され、それが今回確定した。懲罰は決まっていないが、これも「断り切れない上官命令」による犯行と見なされる方向にある。

  

 


       

  


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