『アド―ロ』のア・マンサネーロがCOVID19で死去

    『アド―ロ』で世界的に知られたメキシコの著名なカンタウト―ル(シンガー・ソングライター)アルマンド・マンサネーロが12月28日、コローナ疫病COVID19 により死去した。17日から入院していた。

  ユカタン州都メリダ出身で、マヤ系の風貌だった。85歳だった。

  12月初めには、メリダ市内の生誕地に開設した「マンサネーロ自邸博物館」の開館式に出席していた。今年はまた、ラテングラミー賞授賞式の場で功績を讃えられた。

  娘のマルタ・マンサネーロは、「父は(音楽や人生の)戦士だった」と語っている。大変なロマンティストで、恋多き人生だった。

  マンサネーロは1950年代に頭角を現し、ピアニストでもあり、約400曲を作った。うち約50曲はヒットした。特に有名なのは『アド―ロ』(君を熱愛する)、『ソモス・ノビオス』(私たちは恋人同士)、『エスタ・タルデ・ビ・ジョベール(きょうの午後、雨が降るのを見た)』、『ノ、ナダ・ペルソナル(いや、個人的なことではない)』、『コンティーゴ・アプレンディー』(君から学んだよ)など。

  私(伊高)は1960年代末、メキシコ市インスルヘンテス南大通りの闘牛場近くにあったナイトクラブで、ピアノで自作を弾き語りするマンサネーロに会っていた。2006年4月には、東京でマンサネーロにインタビューし、月刊LATINA誌に記事を書いた。

  まさかコローナで最期を迎えるとは。入院後のニュースで罹患したことは知っていたが、死の報を受けて、あらためて驚き、冥福を祈った。

▼キューバの歌姫も死去

  玖歌唱界の歌姫の一人で、「キューバのカモシカ」の異名をとっていたファラー=マリーア(76)が12月30日死去した。本名はファラー・ガルシア。

▼マンサネーロ広場開場

  メキシコ市トラルパン区に2021年6月25日、「アルマンド・マンサネ-ロ・ボレーロ広場」の開場式が挙行された。     

コメント

このブログの人気の投稿

ラ米学徒、久保崎夏の思い出

『ホンジュラスに女性大統領誕生』公開のお知らせ

メキシコ外相が「メリダ計画」終了を宣言