メキシコ市中心部にカストロとゲバラの「出会い像」復活

  キューバ革命の覇者フィデル・カストロとエルネスト・チェ・ゲバラは1955年7月、メキシコ市で出会い、盟友となった。その邂逅の場に近い同市クアウテモク区タバカレーラ公園に10月17日、今は亡き両雄がベンチに腰掛けて語り合う様子を描いた銅彫刻が復活した。

 彫刻家オスカル・ポンサネジの「出会い記念碑」という作品で、重さは250キロ。2017年12月2日の、グランマ号上陸記念日にタバカレーラ公園に設置された。フィデルとエル・チェが初めて会った革命記念碑に近いエンパラン通りのアパートの建物から2ブロックの所にある。2人の革命家はゲリラの戦闘服姿をしている。

 当時のリカルド・モンレアル同区長は除幕式で、「両雄の関係は区内タバカレーラ地区に始まった」と指摘した。モンレアルは現在、AMLO政権の政党MORENA(国家刷新運動)所属の上院議員。

 だが設置の数か月後に撤去された。首都の「公共空間記念碑・芸術作品委員会」の認可を受けていないというのが理由だった。同委は設置に反対していた。

 認可されて再設置された「出会い記念碑」に、反AMLO派の保守や右翼は異議を唱えている。近くを走る最大の目抜きレフォルマ遊歩道の緑地帯に長らく設置されていたコロンブス像が米国に始まる反人種差別運動の世界的な広がりのなかで撤去されたのと比較し、「なぜカストロとゲバラはいいのだ」と不満を表明している。

 モンレアルは2022年の次期大統領選挙にAMLOの後継候補として出馬する野心を抱いていると見なされている。モンレアルは、キューバ革命が東西冷戦期のラ米と第三世界に及ぼした進歩的影響を挙げて、再設置を評価している。観光資源としても有益との判断もある。

▼ペロンの書簡は部下が書いた

 ペロン派古参の亜紙エル・ムンドのマヌエル・ガジェロ元編集主幹(80) は10月20日、故フアン=ドミンゴ・ペロン将軍(元大統領)が、1967年10月のチェ・ゲバラの死に際して亡命先のマドリードで「自ら記した公開書簡」は別人が書いたものと、53年後の今初めて明らかにした。

 ゲバラ死去を受けてペロン派左翼の青年らが話し合い、将軍に全く相談せずに「書簡」をしたためた。実際に執筆したのは、活動家ジョン=ウィリアム・クーケの妻アリシア・エグレンで、ブエノスアイレスで書いた。将軍は報道された「書簡」を読んで、それが書かれたことを知ったが、「自分が書いたのではない」と否定したことは一切なかった。

 クーケとエグレンはキューバでゲリラ訓練を受け、ゲバラに会っていた。亜国への帰国後、「革命的ペロン派行動」(APR)を結成、ガジェロも参加した。青年らは、亜国出身の革命家ゲバラに酔心していた。

 「書簡」には、「ラ米に革命を与えた最も際立つ英雄エルネスト・チェ・ゲバラ司令が戦いの中で今日死去した」と書かれている。

▼「出会い記念碑」見えなくなる

 墨都の「出会い記念碑」は10月22日、窃盗犯に奪い去られる危険に直面、警察は鉄板で記念碑全体を覆った。このため、見えなくなってしまった。

 

 

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